2011年6月27日月曜日

高場先生の授業が受けたい!

高場先生からのお便りを掲載します。
高場先生のライヴに、ときどき受講生が聞きに来るということを伺いました。

今週は、7月9日(土)、東京・高田馬場のスペイン・バル《Olé(オレ)》で、『メキシコと中南米の夜~あなたが わたしといっしょに 生きるなら~』と題するライヴがあるそうです。。


 副題は「あなたが わたしといっしょに 生きるなら Cuando vivas conmigo 」
 高場 将美先生(ギター、MC)と峰万里恵さんのライヴです。

『あなたがわたしといっしょに生きるなら』
『ノ・ボルベレー(わたしはもう帰ってこない)No volveré 』
『20年 Veinte años 』
『人生にありがとう Gracias a la vida 』
『インディア India 』
『じぶんの土地へのセレナータ Serenata para la tierra de uno 』
ファドも歌うそうです。

詳細はこちらからどうぞ
http://mariemine.web.fc2.com/activity.html#ole

2011年6月20日月曜日

伊高浩昭の読書日記(No.3)

イタリア「ネオレアリズモ」文学とスペイン内戦

    イタリアには、1940年代初めから20年余り、文学上の「ネオレアリズモ」の時代があった。エーリオ・ヴィットリーニの『シチリアでの会話』(1941年3月)と、チェーザレ・パヴェーゼの『故郷』(同年5月)が、その潮流の初期の時代の双璧とされる。私はスペイン内戦を題材にした文学を読みあさるうちに『シチリアでの会話』にたどりつき、さらに『故郷』まで読み進んだ。

    『シチリアでの会話』(2005年、岩波文庫)は本文300ページ、解説120ページで、解説の重みが際立っている。それもそのはず、作品の全編が巧妙かつ難解で厚い隠喩(暗喩)で覆われており、作品の時代と異なる時代に生きる大方の異邦人には、一読しただけでは、作者の真に意図するところがわからないのだ。私もそうだった。

    ヴィットリーニは、ムッソリーニ率いるファシズム独裁下で、この物語を書いた。その大きな動機は、1936年に近隣のスペインで勃発した内戦だった。この内戦はイタリア人にファシズムの実態を知らしめ、反ファシズム闘争の在り方を強烈に印象付けた。ファシスト党に入党していたヴィットリーニは、スペイン内戦を教訓として、反ファシズムに生まれ変わるのだった。

    作者は、厳しい検閲の網をかいくぐり、発禁処分すれすれのところで、文章技術を駆使して、この作品をものにした。だから、ほぼ全文が<暗喩の仮面>に隠されたのだ。一読後、訳者の鷲平京子の書いた深く読みごたえのある解説を読み、再度、作品を読み直す。こうして理解に到達する。

    『故郷』(河島英昭訳、2003年、岩波文庫)のパヴェーゼもファシスト党に入党したが、後に除名される。パヴェーゼはペンの力で、ファシズム体制に揺さぶりをかけようとした。スペイン内戦はネオレアリズモの作家たちを通じて、イタリア・レジスタンス運動(1943~45)に少なからぬ影響を及ぼしたのだ。

    私は1972~74年のペロン・アルゼンチン政権復活期にペロンを取材し、ペロンがムッソリーニから受け継いだファシズムの「第三の道」論を依然堅持しているのを確認した。そしてペロンは、1950年代に政権を追われてから70年代前半に復権して死ぬまで、スペイン内戦で勝ちファシズム体制を敷いたフランシスコ・フランコ総統のスペインで、長らく安楽な亡命生活を送っていた。

    イタリアにネオレアリズモは生まれたが、ナチス時代のドイツと天皇制軍民全体主義の日本に「ネオレアリズモ」のような潮流があったとは聞いたことがない。ヒトラーや、日本の集団的独裁と異なり、どこか滑稽で抜けたところのあったムッソリーニのイタリア故に、ネオレアリズモが生まれる隙間があったのだろうか。

2011年6月20日、伊高浩昭

追加情報
この記事の本は、立教大学の下記の図書館で貸し出し可能です。
1)エーリオ・ヴィットリーニの『シチリアでの会話』(岩波書店、2005)岩波文庫、図書館本館閲覧室
2)チェーザレ・パヴェーゼの『故郷』(岩波書店、2003)岩波文庫、図書館本館閲覧室



    

2011年6月17日金曜日

ポルトガル映画祭~マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画の巨匠たち

アテネフランセ文化センターで開催されるポルトガル映画祭についてお知らせします。有料ではありますが全作品日本語字幕付き、数多くのポルトガルの映画に触れるチャンスです。


■料金
一般=1回券1200円/5回券5000円
アテネ・フランセ文化センター会員=1回券1000円/5回券4000円

■上映スケジュール 
7月29日(金)
14:50-  「アニキ・ボボ」1942(71分)   監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
16:30-  「春の劇」1963(91分)      監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
18:30-  「過去と現在 昔の恋、今の恋」1972(115分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ

7月30日(土)
12:20-  「カニバイシュ」1988(101分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
14:30-  「神曲」1991(142分)       監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
17:30-  「黄色い家の記憶」1989(122分)   監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ

8月2日(火)
13:20-  「ラスト・ダイビング」1992(91分)    監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
15:20-  「神の結婚」1999(154分)        監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
18:30-  「トラス・オス・モンテス」1976(111分)  監督/アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ

8月3日(水)
13:10-  「骨」1997(98分)    監督/ペドロ・コスタ
15:20-  「トランス」2006(126分)   監督/テレーザ・ヴィラヴェルデ
18:00-  「私たちの好きな八月」2008(149分)  監督/ミゲル・ゴメス

8月4日(木)
14:30-  「春の劇」1963(91分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
16:30-  「過去と現在 昔の恋、今の恋」1972(115分)   監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
19:00-  「カニバイシュ」1988(101分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ

8月5日(金)
13:30-  「神曲」1991(142分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
16:30-  「黄色い家の記憶」1989(122分)  監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
19:00-  「ラスト・ダイビング」1992(91分)  監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ

8月6日(土)
14:00- 講演(入場無料) 「ポルトガル映画と上演の映画」  講師/赤坂大輔(映画批評家)
15:30-  「神の結婚」1999(154分)  監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
18:30-  「トラス・オス・モンテス」1976(111分) 監督/アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ

8月9日(火)
13:20-  「トランス」2006(126分)  監督/テレーザ・ヴィラヴェルデ
16:00-  「私たちの好きな八月」2008(149分)   監督/ミゲル・ゴメス
19:00-  「アニキ・ボボ」1942(71分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ

8月10日(水)
13:20- 「過去と現在 昔の恋、今の恋」1972(115分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
15:50- 「カニバイシュ」1988(101分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
18:00- 「神曲」1991(142分) 監督/マノエル・ド・オリヴェイラ

8月11日(木)
13:30- 「黄色い家の記憶」1989(122分)   監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
16:00- 「ラスト・ダイビング」1992(91分)    監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ
18:00- 「神の結婚」1999(154分)        監督/ジョアン・セーザル・モンテイロ

8月12日(金)
14:00- 「トラス・オス・モンテス」1976(111分) 監督/アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ
16:20- 「骨」1997(98分)  監督/ペドロ・コスタ
18:30- 「トランス」2006(126分)  監督/テレーザ・ヴィラヴェルデ

8月13日(土)
13:10- 「私たちの好きな八月」2008(149分)   監督/ミゲル・ゴメス
16:10- 「アニキ・ボボ」1942(71分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ
18:00- 「春の劇」1963(91分)  監督/マノエル・ド・オリヴェイラ

映画の内容については
アテネフランス文化センターまで
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/p/pt.html

2011年6月8日水曜日

上智大学講演会「在日ブラジル人と東日本大震災 —被災地支援への取り組み—」

上智大学イベロアメリカ研究所が主催する公開講演会のお知らせです。

テーマ: 在日ブラジル人と東日本大震災 —被災地支援への取り組み—
演者:  茂木 真二・ノルベルト (有限会社茂木商事代表取締役、NNBJメンバー)
      アナ・エリーザ・ヤマグチ (上智大学外国語学部助教)
概要:  2008年のリーマンショック後、就労・住居・健康等の面でブラジル人労働者を支援するという目的により、ブラジル人有志、起業家、ボランティア団体などで構成されたNNBJ(Network Nacional dos Brasileiros no Japão —全国在日ブラジル人ネットワーク)というネットワークグループが設立されました。3月11日の震災後、NNBJのコアメンバーが再び集合し、「Brasil Solidário(連帯ブラジル)」を発足し、災害に遭ったブラジル人および日本人被災者の支援活動に取り組んでいます。NNBJ以外にも日本全国の様々な場所から支援目的でブラジル人グループが被災地を訪れています。本講演では、地震直後に現地へ行き、現在でも支援活動を続けている茂木真二・ノルベルト氏にその取り組みや、活動動機についてお話しいただきます。更に、震災が在日ブラジル人に与えた影響を考え、これからの彼らの日本での生活について検討します。

日時: 2011年6月30日(木)17:30〜19:30
場所: 上智大学中央図書館総合研究棟8階L-821会議室
言語: 日本語
参加費無料・予約不要
主催:上智大学イベロアメリカ研究所

2011年6月4日土曜日

ネルーダの死因は癌か、それとも毒殺か?

   チリのノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)の死因解明調査が実施されることになった。法廷は6月2日チリ共産党の提訴を受けて、法医学当局に必要な措置をとるよう命じた。ネルーダは、バルパライソ南方の太平洋岸にあるネルーダの邸宅「イズラ・ネグラ」の庭に、妻マティルデと並んで眠っているが、死因調査には遺体の点検が不可欠であり、遺体が発掘される見通しとなった。

   なぜこのようなことになったかといえば、法廷が5月、サルバドール・アジェンデ大統領の死因調査を命じ、その遺体が発掘され、調査過程に入ったことから、「ネルーダの死因調査も」ということになったのだ。アジェンデは1973年9月11日のピノチェーらによる軍事クーデターのさなか、炎上する政庁内で死んでいった。自殺説が定着しているが、いま敢えて①自殺②銃による自殺を試みたが死にきれずぶ部下が止めの1発を頭部に撃ち込んだ③他殺――のいずれが死因か、慎重に調査している。

   この動きを受けて、ネルーダの側近で運転手も兼ねていた人物が、メキシコ誌「プロセソ」に、「ネルーダは首都サンティアゴにあるサンタマリーア診療所で毒物を注射されて殺害された疑いが濃厚」と語った。当時のチリ駐在のメキシコ大使も、「メキシコへの亡命を促すため診療所でネルーダに会ったが、彼は元気で病室内を歩いていた。その翌日ネルーダは死んだ」と証言した。従来ネルーダは「前立腺癌の悪化」が死因とされてきたが、アジェンデの死の直後の1973年9月23日に死んだのが「あまりにも唐突で不自然だ」と元側近や本大使は主張している。このためネルーダが所属していた共産党が5月末に死因調査を求めて訴えたのだった。

   背景には、1982年に同じサンタマリーア診療所で、エドゥアルド・フレイ元大統領が毒殺された事件が先に発覚した事実がある。フレイはアジェンデの前の大統領で、ピノチェー軍政に反対していた。ネルーダの側近が言うには、ピノチェーはネルーダが生きている限り、反ピノチェーの象徴的存在になりうるとして、ネルーダを毒殺したとみている。もし毒殺が証明されれば、チリ現代史は書き変えられることになる。

   ところで私は、本文を「読書日記」の一環として書くつもりだった。私はネルーダが大好きで、ピースボートに乗れば必ず、朗読会を催す。ことし3月にも船上でそれをしたが、そのとき中心になって読んでくれたのは、新劇女優の入江杏子(本名・入江久恵)さんだった。その入江さんから著書『檀一雄の光と影』(1999年、文芸春秋社)を署名入りでいただいた。それを読んで驚いた。彼女こそ、檀一雄の話題作『火宅の人』(1975年新潮社)のヒロイン「矢島恵子」のモデルだったのだ!

   船内で4月には、昔のペルシャの詩人オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の全編朗読会を開いたが、この時も入江さんが中心だった。ことし84歳の高齢だが、さすが女優である。船上での光栄な出会いだった。さっそく『火宅の人』を36年ぶりに読み直そうと思ったが、探しても見つからない。見つかり次第、必ず読む。

(2011年6月4日)  伊高浩昭   

2011年6月3日金曜日

Mario Vargas Llosaの講演

伊高先生が読書日記で質問したいと言っている、ノーベル文学賞受賞のMario Vargas Llosaの講演会についてお知らせします。

1)マリオ・バルガス=リョサ講演:『都会と犬ども』から『ケルト人の夢』まで
日時:6月21日(火) 18時より
会場:セルバンテス文化センター
お申込みはこちらから(座席はすでに満席ですが、図書館での中継があるようです。こちらもほぼ満杯) 事前予約必要

2)マリオ・バルガス=リョサ講演『文学への情熱ともうひとつの現実』
日時:6月22日(水) 14時(開場13時)
会場:東京大学本郷キャンパス 法文2号館2階1番・2番大教室(定員有)
事前予約必要  詳細は現代文芸論研究室まで

2011年6月1日水曜日

伊高浩昭の読書日記(No.2)

   あるメキシコ人作家の『愛のパレード』という翻訳書を読んだ。私にとっては駄作だった。スペイン政府主催のセルバンテス賞の受賞作家の作品だというが、この小説に関する限り、この賞の受賞者の作品とは思えない内容だ。この小説には、主人公をはじめたくさんの人物が登場し、相互に複雑に絡み合う。ミステリー仕立ての物語の展開はあるが、人間が描かれていないのだ。登場人物たちは盛んに動き回るが、それらの人物には血が通っていない。ただ分厚い紙数とともに物語が進むだけで、読むのが苦痛だった。

   近年、スペインやラ米の作家たちの小説をある程度読んできたが、この種の「人間が描かれていない」ものがやたらに目立つ。ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)、マリオ・バルガス=ジョサ(MVLL)、カルロス・フエンテス(CF)ら、ラ米大作家時代の作家たちはまだ何人か健在だが、後続の作家群が大作家になれないわけ、大作家たちを超えられない理由がわかろうというものだ。

   たとえば、GGMの『百年の孤独』(私は『孤独の百年』が適訳だと思うが)を真似した「百年単位」で物語を展開させる手法がやたらにはやっている。だが、それらの「亜流」では、人間が機械仕掛けの人形のように動くだけで、人生観、世界観、信条、苦悩、情感などがほとんど描かれていない。描く能力がないのか、描く必要はないと思っているのか、どちらかだろう。それとも、時代がすっかり変わってしまい、非人間的なこの世の中には、人間などいなくなってしまった、とでも言いたいのか。

   この種の「無機物のような小説」は、やたらに衒学的、多弁駄弁を弄するものが多く、空しいだけだ。500ページを上回る大部が少なくないが、ボルヘスならば半ページもあれば処理するのに十分な内容だろう。ハードボイルド風の主人公が出てきても、チャンドラーが世に出したような、苦悩しつつ現代社会を生きる主人公とはまったく異なり、ひたすら物語のなかを泳ぎ動き回るだけなのだ。

   「語彙の多さ」や「修辞の美」を誇るスペイン語国民の作家たちであるはずなのに、言葉をやたらに並べるだけで、「真の美」つまり生きた人間の登場する小説が書けなくなってしまったのは何故なのか。セルバンテス賞も、選考委員たちの審美眼も変わってしまったのだろうか。6月末にMVLLが来日する予定だが、機会があれば、これらの点を質問してみたい。