2009年12月22日火曜日

¡Feliz Navidad y Feliz Año Nuevo!


ウォーリーを探せではないけれど、これはどこでしょう。


今年も皆様の支えなしには講座や講演会の運営はできませんでした。

いたらぬところはすべて皆様に支えていただきました。

どうぞ良いクリスマスと良い新年をお過ごしください!

1月の映画「Machuca」のご案内


「ラテンアメリカ研究所で映画会を開催するとしたら何を上映したら良い?」という質問に対し、おそらく誰よりも多くの映画を見ている某先生の答えが、
「いろいろあるけれど、ラテンアメリカ映画の中から1本だけ選ぶとすれば、なんといってもMachuca」でした。
これまでいろいろな事情からスペイン映画祭での上映後は、スクリーンで上映されることはありませんでした。

このたびセルバンテス文化センターにてこの「Machuca」が1月に上映されます。 ぜひ、ご覧になってください。

土曜映画上映会:1月の映画「マチュカ~僕らと革命」
会場:セルバンテス文化センター
日時:2010年1月9日17時~
/1月16日15時~
/1月23日17時~

入場料無料、予約不要、先着順。 

2009年12月17日木曜日

立教大学地域系研究所連続講演会(日本学)



公開講演会「沖縄の遊郭~ジュリとアンマー~」
講師:渡辺 憲司、立教大学文学部教授
日時:2009年12月19日(土)、15:00~16:30
会場:立教大学池袋キャンパス、5号館2階、5221教室

11月末から連続して開催されている地域系研究所(ラテンアメリカ、アジア、アメリカ、日本学)も今週の土曜日で最後となります。最後に取り上げる地域は日本の沖縄です。

沖縄の遊郭のジュリとアンマー。

ジュリとアンマーという言葉を聞いただけで、すぐになんの意味だかわかる人は沖縄通なのかもしれません。遊郭という昔の文化の残る場所で、どのように土地の精神が伝えられているかは、とても興味があります。

海、リゾートだけではない沖縄に触れてみてください。

2009年12月14日月曜日

受講生の交流


この花は昨日の二次会でいただいた花です。

図書室のカウンターにおきました。


ラテンアメリカ講座は4年間在籍をしながら語学と講義の単位を取り、修了書を得ることを目指すところということを承知して通い始めます。そうは言っても、何年も通ううちに、ここがいつもいる場所のようになっていく人たちがいます。そして、ともに人生のイベントに立ち会うことがあります。


昨日は受講生の結婚式二次会に参加しました。


結婚したのは数年前に受講生となった、可愛いお嬢さんです。素敵な女性といった方が良いでしょう。

そして、参列した講座の素敵なメンバーたち・・・若くても若くなくても、会社では偉くてもそうではなくても、同じ立場で交流できるのが、ここの楽しみなのかもしれません。

2009年12月10日木曜日

第3回地域系研究所連続講演会~アメリカ


先週のアジア地域研究所主催の講演会ではたくさんのラテンアメリカ講座受講生をお見かけしました。
今週はアメリカ研究所主催の講演会です。ラテンアメリカもアメリカズの中に入るわけですが、ここでのアメリカはアメリカ合衆国をさします。今回は北米先住民族についてのお話です。

テーマは「ネイティブの国々を覆い隠す絨毯としての国家」

講師: 北山耕平氏
日時: 2009年12月12日(土)15:00~16:30
会場: 立教大学池袋キャンパス5号館2階5221教室
主催: 立教大学アメリカ研究所
共催: 立教大学ラテンアメリカ研究所、他
内容: アメリカ研究所が担当する地域系研究所連続講演会(第3回)は、約30年にわたり環太平洋の先住民族とその精神世界を探求し続けている北山耕平氏を招聘し、アメリカ先住民と国家の関わりについて講演していただきます。

北山耕平氏のブログ<http://native.way-nifty.com/
で、ぜひ内容をご確認ください。

2009年12月4日金曜日

第2回地域系研究所連続講演会~アジア


先日の地域系研究所連続公開講演会の第1回ラテンアメリカ研究所主催「アマゾンからのメッセージ」にはいらっしゃいましたか?
講師である南研子さんは、アマゾン先住民族の森林に通うこと20回以上。
生活をともにすることで、森の民のさまざまな知恵を伝えてくれました。

明日の第2回はアジアからチベット人の生活について伝えてくれます。
講師である渡辺一枝氏は、作家の椎名誠の奥さんでもあります。
チベットの長年通い、馬で旅行をし、ほんものの生活をお話くださいます。
世界のさまざま国々の視点を通して、ラテンアメリカをもう一度とらえなおす、日本の姿をとらえなおす、よい機会になるかもしれません。

「チベット人の一年・一生」

講師: 渡辺一枝氏
日時: 2009年12月5日(土)14:00~15:30
会場: 立教大学池袋キャンパス8号館2階8202教室主催: 立教大学アジア地域研究所
共催: 立教大学ラテンアメリカ研究所他
内容: 日本と同じ頃に仏教が伝来したチベットは、日本と同じ位、古い歴史を持っています。そんなチベットの人々の毎日は、陰暦でも陽暦でもない独自の暦で、一年が巡っていきます。チベット人の日々の暮らしぶりや年中行事、また子どもの誕生や肉親の死など生涯の出来事に際しての彼らの姿を通して、チベットの文化を考えてみたいと思います。チベット人の「物の見方・考え方」などについて、お話します。

2009年11月30日月曜日

クリスマスツリーの点灯式


本日11月30日(月)に立教のクリスマスツリーの点灯式が行われます。
樅の木にはすっかりイルミネーションが飾り付けられ、点灯を待つばかりになっています。
その隣には見事な金色に輝く銀杏の木があります。

2009年11月26日木曜日

公開講演会「アマゾンからのメッセージ」


この講演会のチラシの写真をご覧ください。
上の写真は埼玉県の畑を空から撮った写真ではありません。アマゾンの写真です。

明日11月27日(金)18時より、立教大学池袋キャンパス8201教室において、熱帯森林保護団体代表の南研子さんによる公開講演会を開催いたします。

温暖化で北極域の氷床融解が予想を超えるペースで進んでいるとの報告書が最近欧米の科学者から発表され、17日付の英科学誌、ネイチャー・ジオサイエンス(電子版)でも、世界の08年の化石燃料燃焼に伴う二酸化炭素(CO2)排出量は、昨年よりも増加し、1人当たりの排出量も過去最多だったと発表されたのはごく最近のことです。

またブラジル政府が今月になって、2020年時点の温室効果ガス排出量を当初予測より最大で38・9%削減するという目標を発表したことも記憶に新しいと思います。

こうした中、地球温暖化の要となるアマゾン熱帯森林の現場で起きていることを伝えてくれるのが今回講師に迎える南研子さんです。

今日では、地球温暖化に関する記事を見ないことはないというほど、注目を浴びているテーマですが、この講演会では、現地の声を一人でも多くの方へ届けよう、深刻な状況を伝えようと、懸命な努力を続けている南研子さんの貴重なお話を聞くことができます。

南さんは80年代からアマゾンの先住民との関わりを持ち、あるときは生活をともにし、共に生き、森に生きる民の深い叡智をわたしたちに伝えてくださる方です。

机の上の論理ではない、現地の声をお届けします。
本からだけでは決してわからない、真実のアマゾンをお伝えいたします。

2009年10月28日水曜日

立教大学の秋


立教大学の蔦の紅葉が美しい季節となりました。

今週のラテンアメリカ講座はどのクラスもお休みです。
ラテンアメリカ講座は大学暦に沿って展開する講座ですから、大学の学年暦に従い今週はお休みです。

蔦の紅葉は陽があたるところから赤く色づき始めます。今はチャペルの正門側が一番美しく紅葉しています。その後、モリス館に紅葉が広がっていきます。今週が一番美しいような気がしますが、約2週間後、次の登校の日には教室のある5号館だけでなく、道の反対側にわたって大学の秋を楽しんでください。

2009年10月23日金曜日

立教大学地域系研究所共催連続講演会


立教大学には4つの地域研究を行う研究所があります。皆さんのよくご存じのラテンアメリカ研究所、毎年合同シンポジウムを行っているアメリカ研究所、そしてアジア地域研究所と日本学研究所です。

今年から1つのテーマに対して4つの異なる地域からの視点を紹介する4地域研究所共催の連続講演会を開催することになりました。今年のテーマは「ネィティブマインド」。世界各地の先住民文化をご紹介ます。

第1回目はラテンアメリカ研究所。アマゾンの森に住む先住民と長年にわたって生活をともにし、その叡智を伝えてくれる南研子さんを講師にお迎えします。アマゾンの先住民を長年にわたってかかわり続けてきた南研子さんから、アマゾンの先住民のメッセージを伝えていただきます。 先進国とのかかわり急速な経済発展でアマゾンは危機的な状況を陥っています。こうしたアマゾンの現況をお伝えします。

2009年10月21日水曜日

現代のラテンアメリカ講演会


早いもので今年は「現代のラテンアメリカ」をテーマにした講演会は第40回を迎えます。毎年、現代のラテンアメリカをテーマにした講演会を開催しつづけてきて、今年でもう40年になるのだそうです。

不惑を迎えた「現代のラテンアメリカ」講演会は、第1部では時をずらして16世紀のペルー、第2部は現代のペルーの抱える問題を扱う。時間軸という縦軸をつかって、メッセージ~出来事と政治、権力との関係を探ります。

東京フィルメックス映画祭2009

7月にラテンビート映画祭関連の上映会とトークを開催したせいか、映画祭がなぜか気になってしょうがない。ラテンアメリカ研究所にきたチラシの中から東京フィルメックス映画祭2009をご紹介したい。

http://www.filmex.net/2009/special.htm

ここで特に紹介したいのは特別招待作品の中の、「悲しみのミルク」というペルー映画である。今年あたりから、かなりあちこちの映画祭で上映されるラテンアメリカの作品が増えてきたと思う。
なかなか会場まで足を運ぶ時間を作るのは難しいかもしれないが、できればぜひ見てみたい作品である。

2009年10月14日水曜日

ラテンアメリカ文学に親しむ秋

食欲の秋、芸術の秋、文学に親しむ秋となりました。
10月は素敵な展覧会、講演会が開催されます。

まずはセルバンテス文化センターで行われる、ラテンアメリカ文学の講演会のお知らせです。

10月24日(土)ボルヘス会創立10周年記念、マリア・コダマ来日
10月27日(火)苺とチョコレート作者セネル・パス講演(映画上映あり)

詳細はこちらから(どちらも要予約)
http://tokio.cervantes.es/jp/cultura_jp/actividades_cultura_jp.htm

次はメキシコ大使館で行われるメキシコ日本交流400周年記念
10月30日(金)「文士達の遭遇」~メキシコ―日本人作家・詩人リーディングイベント~
問い合わせ、メキシコ大使館学術交流部

2009年10月7日水曜日

2009年東京国際映画祭

キューバ映画祭も今週末で終わりますが、秋は楽しみなイベントが目白押し、次は東京国際映画祭が始まります。今年はイベリア・ラテンアメリカ圏の映画がずいぶんとたくさん登場しています。
映画祭のHPはこちらから
http://www.tiff-jp.net/ja/

コンペティション部門には
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/title.php?lcat=1

・見まちがう人たち(チリ・ポルトガル・ブラジル)
・激情(スペイン・コロンビア)
・ボリビア南方の地区にて(ボリビア)
・ストーリーズ(スペイン)

World Cinema部門には
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/title.php?lcat=5
・タンゴ・シンガー(ベルギー・アルゼンチン・フランス・オランダ)

日本メキシコ友好400年記念、カルロス・レイガダス監督作品特集
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/title.php?lcat=6
・ハポン
・静かな光
・バトル・イン・ヘブン

natural TIFF supported by TOYOTA
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/title.php?lcat=6
・人魚と潜水夫(メキシコ・スペイン)
・イニスフリー(スペイン・フランス・アイルランド)

2009年10月3日土曜日

2016年オリンピックはリオデジャネイロに決定


東京のプレゼンテーションはコンセプトが明確でとても素敵でしたが、残念落選してしまいました。
そして、オリンピックはリオデジャネイロに決定! 来年はポルトガル語ブームがラテ研にも到来?!
そう、ラテンアメリカ講座では、「ポルトガル語で学ぶブラジル文化」の講座もあります。
古くからの講座受講生はみなすでにブラジルとの関わりが深い方がほとんどですが、ワールドカップやオリンピックでのブームとともに新しい受講生の参加もお待ちしています。

秋にはブラジル関係の講演会も現在準備中。もうすこし待っていてくださいね。

2009年9月26日土曜日

メキシコ映画祭

ラテンビート映画祭も終わりましたね。
次はキューバ映画祭ですね。

今日はメキシコ映画祭のお知らせをいただきました。
予約は必要ですが、無料です。場所はメキシコ大使館!
お時間がある方は行ってみてくださいね。

http://portal.sre.gob.mx/japonj/pdf/CiclodeCineMexicano_2009.pdf

語学勉強法のラベル

一昨日ラテンアメリカ研究所に、購読クラスの学生さんが「リスニング教材がありますか?」と質問にみえました。「自分にあったおもしろいサイトをリスニングに使ってみて!」といくつかのサイトをお見せしました。

そんなわけで、これまでにブログで紹介した勉強法のラベルを修正しました。
estudiar idiomasというラベルにしました。ちょうど来週から秋のNHKのラジオ講座が新たに始まります。先日早速本屋さんでいろいろな言語のテキストを買い込んでしまいましたよ!

今やNHKも無料で数日分のラジオ講座を番組のWeb上に載せています。これなら聞き忘れてもいいですね。こんなに無料のサイトを紹介して講座受講生の数は減らないの? いやいや一人で勉強するからこそ、どこかで試してみたくなるものですね。

2009年9月19日土曜日

オンラインニュース

オンラインニュースを利用されている方はたくさんいると思う。
各国のニュースソースにアクセスし、その中から動画を探すという方法もある。
スペイン語の場合は各国のニュース以外にもCNN en español や BBC el mundoなどスペイン語圏以外の地域のニュースを通して客観的なニュースを集めることも可能だ。

BBCにはポルトガル語ニュースもあるが、今日はEuronewsをご紹介したい。
CNNやBBCに匹敵する視聴者数を誇る、ニュースTVのオンデマンドニュースである。

エウロニュース・スペイン語版
http://es.euronews.net/

エウロニュース・ポルトガル語版
http://pt.euronews.net/

上部に各国語のタブがあり、ポルトガル語ニュースもある。このニュースがお勧めなのは、どこの言語からでもタブをクリックすることで別の言語の同じニュースにアクセスできること。そして同じ映像の同じニュースを各国語の同時通訳者がボイスオーバーで伝えていることだ。得意の言語でニュースの内容をチェックしながら、語彙力を増やしてすこともできる。写真をクリックすると動画を見ることができ、各国語ニュースを聞くことが可能。

2009年9月16日水曜日

オンラインTV


今週の土曜日からラテンアメリカ講座の後期が始まります。
(金曜日はまだ夏休みなのでお間違いのないように!)

夏休みの勉強はどうでしたか?さらにパワーアップして後期に臨むことに少しでも役に立ったことを期待しています。

さてさて、来週はラテンビート映画祭もあり、今年はTelenovelaなどの紹介もあるようですが、本日はTVのご紹介をしたいと思います。

今ではYoutubeや各HPのニュースサイトなどで多くの動画を見ることもできます。またTV放送局がいくつかの動画をHPにアップをしていますので、皆さんもいろいろとご覧になっていることと思います。

その中でも特におすすめなのがスペイン国営放送のTVEです。
数年前にスカイパーフェクトTVで有料で見ることができるようになったときも感激したものですが、今回は無料のオンデマンドTVです。TVE a la cartaと言います。
http://www.rtve.es/alacarta/

なんといっても画質の良さ(ほとんどTVと変わらない)
そして、番組の豊富さで、他の動画サイトを凌駕しています。

ぜひあれこれクリックしてみてくださいね。

2009年9月11日金曜日

オンライン図書館


9月9日付の伊高先生のブログ記事によれば、ガブリエラ・ミストラルの書簡集はチリ国立図書館に寄贈されWebで公開されるらしい。早速、Biblioteca Nacional de Chileを検索すると、この書簡寄贈に関する記事が掲載されていた。

http://www.dibam.cl/biblioteca_nacional/noticias.asp?id=11592

Web公開について調べてみると、すでにいくつかの本や論文などがWeb上で公開されている。かなり重たいのでHP上に書いてあるように軽くするなんらかの手法が必要だろうと思われる。

最近はWebを使ってオリジナルの資料にアクセスする方法がかなり進化している。特にオススメはメキシコ国立自治大学UNAMのサイトで、多くの資料をダウンロードすることが可能。

http://www.descargacultura.unam.mx/app1

このサイトでは著者による朗読などの文学媒体を聞くことができる、とても楽しいサイトだ。そして、これらの媒体をPodcastingすることも可能。

たとえば、上部のタグにあるAutoresからBenito Juarezを選んでみよう。もちろん歴史上の人物であるので、本人の朗読ではないが、本で読んだときには難しく思える文章も、プロの朗読者の声で聞くと情景が目の前に立ち上ってくるようだ。

こうしたメソードは私がスペイン語を勉強し始めた~十年前には留学しなければ、得るのが難しかった。(年齢がわかりますね?!)
最後のオススメはスペインの国立図書館。
Biblioteca nacional de España ここではスペイン各自治州の図書館のデジタル版がそろっている。
その中でのお勧めがBiblioteca hispaniicaである。
中にはBiblioteca digital Miguel de Cervantesがあり、
これにはスペイン文学、イスパノアメリカ文学の作品が網羅されている。
Autor別にみることも可能だし、Titulo作品別にみることもできる。
それ以外にもBiblioteca digital では、歴史や様々なジャンルの作品を紐解くことができる。
ぜひ時空の扉を開けて、さまざまな世界へジャンプしてみてください。

2009年9月9日水曜日

ノーベル賞詩人ミストゥラルの書簡集が話題に

寄稿     伊高浩昭(ジャーナリスト)

 チリの誇るノーベル文学賞詩人ガブリエーラ・ミストゥラル(1889―1957。1945年受賞)が、晩年に秘書を務めた米国人女性ドリス・ダナに宛てた書簡をまとめた書簡集『放浪娘(ニーニャ・エランテ)』が2009年8月30日、サンティアゴで刊行され、大きな話題になっている。1948年から1957年までの期間に書かれた書簡250通から、2人の間に愛情関係が存在していたことが浮き彫りになったからだ。
 現地からの報道によると、編集者のペドロ・セヘレス(チリ国立図書館作家資料部長)は、「私は、人物が等身大に見られるの好む。ミストゥラルの実像に迫ろうとしたまでだ」と刊行の理由を語っている。
 ダナは、ミストゥラルから遺言執行人に指定され、著作権や資料を管理していたが、2006年、米フロリダ州で86歳で死去した。その後、ダナの姪が、ダナが管理していたミストゥラル関係の膨大な資料をすべてチリ政府に寄贈した。それが国立図書館で分類整理され、書簡集発行につながったのだ。
 ミストゥラル作品の特徴の一つは、揺籃期、男性への恋愛心、母性が明確に描かれていることだが、書簡集で「同性愛」的性向が明らかになった。チリのメルクリオ紙の報道によると、「私は風雨に身をさらす。その風雨は、私に代わってあなたを抱擁し接吻する」、「あなたを私のものにするために私がしたことは、魂と肉体の激しい愛でした」などの記述がある。ミストゥラルはダナが旅行好きのため、彼女を「放浪娘」と呼んでいたという。ミストゥラルは書簡の終わりに「あなたのガブリエーラ」と署名することがあるが、セヘレスは、「あなたの」を二人称代名詞所有格女性形の「トゥヤ」でなく、男性形の「トゥヨ」としている点を指摘している。
 セヘレスは次いで、メキシコ人女性秘書パルマ・ギジェンに宛てたミストゥラルの書簡集を刊行する。国立図書館は、ミストゥラルの資料4万点をウェブサイトに載せることにしているという。

2009年9月4日金曜日

ラテンビート映画祭紹介


本日、ラテンアメリカ講座講師からラテンビート映画祭の各作品の上映時間は決まったか?との問い合わせがありました。「もちろん決まりましたよ。」と公式サイトをご案内しました。

さて、公式サイト以外にもラテンビート映画祭を紹介する素敵なサイトをご紹介します。
この映画祭の制作コーディネーターが運営するブログです。
キューバ映画への造詣が深いことはもちろんのこと、映画全体に対する幅広い知識をわかりやすく伝えてくれるブログです。

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/

今回の映画祭出品の作品の背景などについても語っていますので、ぜひ参考にしてくださいね。

このラテンビート映画祭は今年はオフィシャルパーティを計画しているそうです。
このパーティの開始時間はなんと23時半!!
ラテンですね~~~!! スペインですね~~!!
時間軸が変わることで見えてくる、ラテン文化。
劇場という異空間で感じるラテン文化。

本当に、た・の・し・み・・!!

2009年9月2日水曜日

アジェンデ政権打倒をブラジルと策謀 ~暗黒の裏面史を暴く米国務省公開文書~

アジェンデ政権打倒をブラジルと策謀 ~暗黒の裏面史を暴く米国務省公開文書~

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト)

 一九七〇年代初頭、米伯両国がラ米反共戦略を共同で推進しようとしていた事実が最近あらためて明らかになった。米国務省が二〇〇八年九月八日に黒墨を入れて修正したうえで機密指定を解除し公開した文書が、二〇〇九年八月半ば米国の民間研究団体「ナショナル・セキュリティー・アーカイヴ(NSA=国家安全保障文書)」によって配布され、脚光を浴びている。当時、メキシコ市を拠点にラ米情勢を取材していた私にとっても、極めて興味深い内容だ。
 この文書は、ホワイトハウス(米大統領政庁)が一九七一年一二月九日付で記した米伯首脳会談に関するメモランダムで、当時のリチャード・ニクソン大統領(一九一三―九四)の行政記録文書として、同大統領の国家安全保障担当補佐官(その後七三―七七年国務長官)ヘンリー・キッシンジャーがまとめた形になっている。会談したのはニクソンと、訪米していた当時のブラジル軍政大統領エミリオ・ガラスタズー=メディシ将軍(一九〇五―八五)で、在仏・米大使館付武官で次期CIA副長官就任が内定していたヴァーノン・ウォルターズ少将が同席した。

 最も重要な会談内容は、チリのアジェンデ人民連合(UP)社会主義政権打倒のクーデターに向けて協力することで合意した部分だが、他の部分も重要であり、公開文書に盛り込まれているテーマ順に紹介する。私が付記した部分は[ ]で囲んだ。
▽米州開銀問題
 会談初めの挨拶が終わると、メディシは「米州開発銀行(BID)のオルティス=メナ総裁と会談したばかりだが、総裁から銀行支援の要請をニクソン大統領に伝えてほしいと依頼された」と切り出し、ニクソンは「米議会が善処するはずだ」と応じている。
 [この総裁はメキシコ経済相経験者で、経済相だったころ、一九七〇年のメキシコ大統領選挙に当時の政権党PRI(制度的革命党)候補として出馬したがっていた。だが当時のグスタボ・ディアス=オルダース大統領はルイス・エチェベリーア内相を後継候補に指名し、内相が選挙を経て大統領に収まる。私はそのころ、PRI党内の勢力争いを取材しており、内相と経済相の権力闘争を目の当たりにしていた。だから、メディシが総裁の名前を出したのを知って、妙に懐かしかった。]
▽米玖関係
 次にニクソンは、キューバ問題を取り上げ、「我々の対キューバ政策が変化しつつあるとの報道や噂があるが、全くの間違いだ。カストロ体制と革命輸出の策謀が続くかぎり、政策は変わらない」と強調した。メディシは「その言葉を聞いて大変嬉しい。ブラジルの立場とまさに同じだ」と応じた。
▽ペルー軍政
 メディシは続いて、「ペルーは、キューバのOEA(米州諸国機構)復帰を目指し、OEA内に検討委員会を設置しようと工作している。我が方の外相(ギブソン・バルボーザ)は、伯米両国の委員会参加問題がいずれ浮上し、参加して委員会内部からキューバ復帰に反対するのが得策か、それとも委員会参加をはねつけるべきかの問題になると指摘している。米国が委員会に入れば、キューバ復帰を認めていると受けとめられてしまうかもしれない。ブラジルの参加についてどう思うか」と、ペルー左翼軍政のフアン・ベラスコ=アルバラード大統領の動きに関連して問題提起する。ニクソンは「興味深い問題であり、十分検討してから回答を伝える」と応じている。
 [キューバのOEA復帰問題は二〇〇九年六月初め、ホンジュラスのサンペドロスーラ市で開かれた第三九回OEA外相会議で、キューバ加盟資格停止決議(一九六二年)が廃棄されて一応の決着をみた。だが、キューバには復帰の意思はない。OEAの枠外に居続け、米国と退治し続ける方が得策だからだ。]
▽直接回路
 ニクソンはそこで「我々は馬が合い、視点も一致している。密接な関係を維持するため、通常の外交チャネルではない直接の回路を設置したい」と切り出し、その窓口としてキッシンジャーを指名した。メディシは、外相にして私設顧問である側近中の側近バルボーザを指名した。さらに、「ブラジル軍政・軍部と密接な協力関係にあるブラジリア駐在の米軍武官モウラ大佐が近く転勤すると聞いているが極めて残念だ」と表明する。ニクソンは、「大佐の功績は把握している。大佐を准将に昇格させ、ブラジルに武官として留まらせる」と答えて、メディシを喜ばせる。
▽亡命キューバ人
 メディシは、米州に数多くいる反革命亡命キューバ人の存在に触れて、「彼らは、カストロ体制を打倒する能力があると主張している。我々は彼らを支援すべきか」と問いかける。ニクソンは熟考した後、「我々が支援できない計画に彼らを巻き込むのでないかぎり、また、我々の関与が極秘裏に保たれるかぎり、支援すべきだと思う」と答えた。メディシは同意し、「ブラジルの協力が必要だと思ったら、直接回路で伝えてほしい」と言った。
 [ここで興味深いのは、一九六一年四月のヒロン浜侵攻作戦の惨敗である。アイゼンハワー大統領はカストロ体制打倒のため、この作戦を決めたが、ニクソンは副大統領として深く関与していた。CIAと米軍顧問団が亡命キューバ人を中米で訓練し、ヒロン浜に上陸させたが、作戦決行時の大統領はケネディだった。ケネディは作戦失敗が濃厚になった時点で、米軍介入の要請を拒否した。米政府は、フロリダに〈キューバ亡命政権〉をあらかじめ擁立しており、作戦が勝利しそうになったら直ちに〈亡命政権〉を承認し、その要請を受けて介入する筋書きを用意していた。]
 [だが、作戦は惨敗し、米軍介入の機会は訪れなかったのだ。ケネディは一九六三年に暗殺されたが、ヒロン浜作戦時の米軍介入を許可しなかったのを恨んでいた米国内の反動勢力が暗殺に関与したとの見方が消えていない。ニクソンは明らかに、ヒロン浜敗北の苦い経験から、「我々が支援できない計画に巻き込まない」という教訓を得ていたのだ。]
▽ボリビア
 この後、メディシは、「ブラジルはできる範囲で近隣諸国、とりわけボリビアを援助している。最近、ボリビアの閣僚が来て、代金の三年間支払い猶予、その後一〇年払いで、砂糖三万トンを売ってほしいと我々に求めた。支払い方法が通常の取引とかけ離れていると答えると、彼は砂糖が欠乏すれば政府は倒れ、左翼が政権を握る。これは政治問題なのだと迫った。そこで彼の言う条件で砂糖を引き渡すことにした」と、バンセル・ボリビア軍政との取引を披露した。続けて、「すると、今度はブラジル製ジェット戦闘機一〇機を同様の条件で売ってほしいと持ちかけてきた。私は、経済困難にある国が戦闘機を解体とは馬鹿げていると言って、断った。イスパノアメリカ(スペイン語系ラ米)人の考え方を理解するのは難しいと思ったが、ニクソン大統領にとっては一層難しいだろうと思った」と述べた。メディシは、「伯米両国は西語系ラ米との取引に難しさを抱えているが、我々がポルトガル語を話し、米国が英語を話すからだろう」とつけ加えた。
 [北の米国と南のブラジルが協力して、間に挟んだ西語系ラ米ににらみを利かせる極秘会談をメディシとニクソンはしていたわけだ。この会談に先立つ一九七一年八月、ボリビアで流血の軍事クーデターが起き、左翼人民主義路線を走ろうとしていたフアンホセ・トーレス軍人大統領の政権は倒れた。ボリビア軍部右翼の大佐だったウーゴ・バンセルを背後で操っていたのが米伯両国だった。メディシとニクソンは、ボリビアでの〈成功例〉に立って会談したのだ。私は一九七三年に、ブエノスアイレスで亡命生活を送っていたトーレスにインタビューしたが、トーレスは七六年三月、同市郊外で射殺体で発見される。米伯が南米軍政と組織した左翼暗殺のための「コンドル作戦」の犠牲者になったのだ。]
▽ストロエスネル
 メディシは、西語系ラ米人がやっかいな例として、当時のパラグアイ大統領アルフレド・ストロエスネル(一九一二―二〇〇六)について語った。「彼は頑迷な反ボリビア主義者で、ボリビアには何も与えまいと決め込んでいた。ブラジルはパラグアイと共同でパラナー川にイタイプーダムを建設している。発電される電力(1200万kw)は折半するが、パラグアイにはそれだけの需要がないため、ブラジルが余剰分を買い上げることになる。そこで、パラグアイはその買い上げによる収入の一部を用いてボリビアに何らかの援助はできないかと、ストロエスネルに持ちかけた。ボリビアは支援が得られなければ共産圏に接近し、武器を含む巨額の援助を受けるようになるだろう。そうなれば、彼らはチャコ戦争(一九三二―三五。パラグアイが勝利)の結果をひっくり返すことさえ試みかねないと言ってやった。するとストロエスネルは最終的に話を理解した」。「ニクソンはこの話を聴いて喜んだ」と、公開文書は記している。
 [ストロエスネルは、チャコ戦争で戦功のあった軍人で、それを足場にのし上がった。一九五四年から長期独裁政権を率いていたが、一九八九年クーデターで追放され、ブラジリアで亡命生活を送り、死んでいった。私は、ストロエスネルの政権末期、彼のすぐ身近に数十分間いたことがあるが、質問は一切許されなかった。]
▽ラヌーセ将軍
 メディシが、「アルゼンチンとの間はいちばん難しいかもしれない。ラヌーセ(当時の亜国軍政大統領)が来訪したとき、大統領同士でなく将軍同士としてざっくばらんに話し合おうと努めた」と言うと、ニクソンは、「私はアルゼンチン情勢を懸念している。ラヌーセ訪伯後のあの国の話を聞かせてほしい」と求めた。メディシは同意したが、公開文書には、それ以上の記述はない。
 [ラヌーセは、軍政ではアルゼンチン政治の混迷状態から脱することはできないと悟り、スペインに亡命していたペロン将軍に帰国を促した人物だ。私は後年、引退後のラヌーセにインタビューしたが、「民主化を実現した将軍」であることを誇りにしていた。このようなラヌーセの政治的作風が、極右反共軍人メディシには不可解だったのだろう。]
★チリ政権転覆謀議
 チリ情勢を切り出したのはメディシだ。「アジェンデは、ブラジルのゴウラール政権が打倒されたのと同じ理由で倒されるべきだ」と提起した。ブラジル軍部は一九六四年にクーデターでゴウラール政権を倒し、カステロ=ブランコ、コスタ=イ=シルヴァの二代軍政大統領の後を受けたのがメディシなのだ。私がブラジル現地取材を始めたころは、まさにメディシ政権時代で、都市ゲリラ闘争が激化し、当局は徹底的に弾圧していた。メディシこそ、五代二一年続いた軍政大統領のなかで、最も厳しい弾圧を加えた指導者だった。
 ニクソンが、「チリ軍部には、アジェンデを倒す能力があるか」と訊くと、メディシは、「あると思う。ブラジル軍部はチリ軍部と多くの士官を交流させてきており、ブラジルは、その目的(アジェンデ政権転覆)のために活動している」と明言した。ニクソンは、「その分野で伯米両国が緊密に協同するのは極めて重要なことだ。米国は指揮は執れないが、我々に何か支援できることがあれば、指摘してほしい。資金や極秘の支援などが必要ならば、提供は可能だと思う。この件は最大限、秘密が維持されなければならないが、新たにカストロ型やアジェンデ型の人物が登場するのを防がなければならず、そのような傾向があれば覆さなければならない」と応じる。メディシは、「伯米双方の立場と見方が極めて接近しているのが嬉しい」と言った。
 [ニクソンはチリクーデター後に行なわれたインタビューで、「ある時、イタリア人実業家が私の所にやってきて、〈カリブ海にキューバがある。チリにアジェンデ政権が登場すれば、南米は共産主義のサンドイッチになってしまう〉と言っていた」という逸話を語っている。自らの関与を一切表に出さず、淡々と語っていた。]
▽ペルーでの策謀
 ニクソンは、「ウォルターズ将軍は来年(一九七二年)三月か二月末にパリから戻り、CIA副長官に就任する。これをお伝えしたい」と言う。メディシは、「その人事は、ニクソン大統領にとって特にラ米の問題で助けになると思う」と応じた。
 ニクソンは、「ペルーのベラスコ=アルバラード政権については、我々の対応は幾分異なるようだが」と、再びペルー問題に話を戻す。メディシはOEAへのキューバ復帰工作の話を繰り返す。ウォルターズ将軍が口を挟み、「ベラスコは国内で問題を抱えることになるはずだ。私がパリに赴任したころ、ベラスコは武官としてパリに駐在しており、愛人との間に子供が一人いた。彼女は元ミス・ペルーで、左翼思想の持ち主であり、そのような政治活動をしていた。この事実が明らかになれば、ベラスコは窮地に陥るだろう。元首のそのような行為は、ペルー軍部高官たちから大目には見られないはずだ」と指摘した。
 [ベラスコは一九七五年、軍部内クーデターでモラレス=ベルムデス将軍に取って代わられたが、愛人との隠し子問題がベラスコ揺さぶりでどこまで効果を発揮したのかはわからない。ベラスコは「軍事革命政権」を標榜し、国内改革や対米自立外交を推進したが、モラレスになると穏健化し、やがて民政移管となる。]
▽アマゾニア
 ニクソンは話題を変えて、ブラジルが陸軍工兵部隊を使って国内遠隔地に自動車道網を建設している件について質問する。メディシは、「アマゾニアで建設中だ。工兵部隊の兵士たちには任務を解除し、現地に土地を与えて定住させる政策をとっている。農民に土地を与える農地改革も推進している」と説明する。ニクソンは、「それらの自動車道建設は汎米自動車道とどう絡み合うのか」と問う。メディシは、「ブラジルと、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアとの接続はうまくいっている。ボリビアを除く三カ国とは舗装道路で結ばれている。現在、ブラジル最西端からペルーのプカルパに抜ける道路を建設中で、これによりブラジルとペルー、エクアドール、コロンビアはつながることになる。ベネズエラ、ガイアナとは隔絶したままだ」と応える。
▽米伯関係
 ニクソンが、この首脳会談の共同声明の案分について意見を訊くと、メディシは満足していると答え、「声明以上に大切なのは、ニクソン大統領と緊密な関係を結び、多くの問題で見方が一致したことだ」と述べた。ニクソンは、「同意見だ。緊密な関係を維持したい。米国にはできないが、南米の国ブラジルにできることがたくさんあるから」とつけ加えた。メディシは、歓待に感謝しニクソンとの友情確立を喜び、その後の協力関係推進を口にした。二人は別れの挨拶を交わし、ニクソンはメディシを自動車まで送っていった。
[▽引き継がれた陰謀]
 [ニクソンは大統領二期目の一九七四年八月、ウォーターゲイト事件で引責辞任し、副代統領ジェラルド・フォードが大統領に昇格した。メディシは同年、軍政四代目のエルネスト・ガイゼル将軍に政権を渡した。ニクソンとメディシが手がけたラ米での陰謀は、フォードとガイゼルに引き継がれた。私は田中角栄首相の訪伯時に、ブラジリアでのガイゼル記者会見に臨んだが、記者対応がまともにできない、頭の回らない軍人という印象を受けた。ニクソンが死んだ一九九四年四月、私はたまたま米カリフォルニア州を自動車で取材中だったが、至る処で半旗の星条旗を見た。何か、因縁めいたものを感じた。]
(公開文書関連部分は以上で終わり)
[▽その他の情報と資料]
☆NSAのチリおよびブラジル担当幹部ピーター・コーンブルーは、上記の米側文書公開と関連させて、「ブラジルが機密文書を公開する番であり、それなしには真相は解明できない。ルーラ大統領に要請している」と述べた。
☆CIA文書によると、メディシは上記の会談で、「伯米が協同してラ米でのマルキスト・左翼主義の台頭を抑え込もう」と提案し、ニクソンは、「いつでもどこでもブラジルを支援する」と答えた。これについて、ブラジル陸軍高官ヴィセンテ・コウチーニョ将軍のように、「米国は明らかにブラジルに汚い仕事をさせたがっている」と警戒する声も出た。
☆一九七二年CIA諜報予測:ブラジルは、ラ米に米国が残した空白部分を埋める役割を拡大しようとしている。
☆二〇〇二年NSC指摘の解除済み米伯会談関連機密文書によると、一九七一年一二月二〇日ニクソンは当時の英首相エドゥワード・ヒースと会談した。南米におけるブラジルの役割について話し合い、ニクソンは「我々の立場はブラジルに支持されている。ブラジルの支援は、将来にわたって鍵となる。ブラジルはウルグアイ大統領選挙の不正操作を支援した。すでに状況は動いている」と述べた。
 [この「ウルグアイでの不正操作」は、一九七一年の拡大戦線候補リベル・セレーニ将軍(一九一六―二〇〇四)の勝利を阻んだことを意味する。〈当選した〉ボルダベリは一九七三年六月、軍部と組んでお手盛りクーデターを打ち、弾圧体制を敷き、セレーニも長期間投獄された。これが三か月後のチリ軍事クーデターへと続いていく。拡大戦線を中核とする左翼・民主連合は二〇〇四年の大統領選挙でタバレー・バスケス現大統領を当選させたが、その三か月前にセレーニは死去した。私は一九八〇年代末にモンテビデオでセレーニにインタビューしたことがあるが、獄中生活の話が記憶に残っている。]

伊高浩昭氏のブログ記事


夏休みにWebを使ったスペイン語勉強法などを紹介しましたが、最近はいろいろな記事を紙媒体以外にWebにコンテンツを掲載することも多くなりましたね。わからないことがあるとすぐに検索・・という感じです。

読書で得る情報以外にも著名人のブログなども人気の的になっているようです。
皆様の中もPCのお気に入りに登録してあるブログがいくつかあるのではないでしょうか。

立教大学ラテンアメリカ研究所も昨年のHPの全面改訂に伴い、ブログを導入しました。
HPには書ききれない様々な情報を載せています。

ラテ研のブログの一番の売りは、ラ米専門ジャーナリストの伊高浩昭氏が頻繁に寄稿してくれることでしょうか。ご厚意で多くの記事を寄せてくださっています。

こうした記事は、本来なら伊高氏の個人HPで掲載されるべきものなのかもしれませんが、そうではないため、検索でのヒットも少ないかもしれません。あなたがもし偶然このサイトを見つけたのであれば、とても幸運です。ぜひお気に入りに加えてくださいね。

今日もひとつ記事を入手しました。次に掲載します。

2009年ラテンビート映画祭


2009年ラテンビート映画祭の公式HPが公開されました。
画像がとてもきれに作られていて、見たい気持ちが刺激されます。
映画のオフィシャルサイトにもリンクが貼られていているので、どのような映画か雰囲気をあらかじめ知ることも可能です。

今日では動画サイトなどで現地のスペイン語やポルトガル語に触れることが可能になりましたが、劇場で見る映画は臨場感が違います。駅前留学ならぬ、劇場留学といったところでしょうか。字幕で内容を確認しながら、自分の理解力を試すこともできるし、知識を深めることも可能。その上、映画としても内容を堪能できれば言うことなし・・ですね。

2009年ラテンビート映画祭の公式サイトはこちらから
http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/

2009年8月28日金曜日

スペイン語とポルトガル語(Webを使って)

皆様お久しぶりです。
大学の夏季一斉休暇も終わり、これから新学期に向けての準備に入るところです。
言語の勉強はどうですか?
ご紹介した映画祭などもそろそろ始まりますね。
9月後半はこうした映画祭などで研鑽を積むことにして、あともう少し勉強を積み重ねましょう。

さて、本日ご紹介するのはイギリスのBBCが提供している語学番組です。

http://www.bbc.co.uk/languages/

左側にスペイン語とポルトガル語の入口がありますので、そこから入ってください。
このHPはどちらも初心者向けです。
初級の外国語と、旅行用の短い表現集、そしてその国の紹介などになっています。
音声はどちらも自然なスピードで話されているので、よい勉強になりそうです。

2009年8月7日金曜日

スペイン語勉強法(Webを使って)その2


先日、東京外国語大学の言語モジュールをご紹介しましたが、いかがでしたか?

さて、前回は発音編のみをご紹介しましたが、今日は文法編をご紹介したいと思います。
文法編の中でも特に過去形や未来形など時制に関する部分や、自分が苦手だと思われる部分を集中的に練習されると良いと思います。

特にお勧めは練習問題です。キーボードをスペイン語入力に変更し、スペイン語のアクセントなどを入力しないと正解にならないので、スペイン語の設定にする必要があります。誤答があったものを秋にまとまめて授業で質問しても良いかもしれませんね。

2009年8月5日水曜日

へミイングウェイ帰国の謎

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト)

 米国人ノーベル文学賞作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899―1961)は1932年にハバナのホテル「アンボスムンドス(新旧両世界)」を拠点とし、40年からハバナ郊外の邸宅フィンカ・ビヒアに住み始めた。59年元日に革命が勝利した後、フィデル・カストロ革命軍最高司令官(当時)とも会っているが、60年7月突然、米国に去ってしまった。そして1年後の61年7月、猟銃で自殺した。
 第1次世界大戦、スペイン内戦、第2次世界大戦を取材したヘミングウェイならば、閃きの源になりうる革命過程のキューバと、もっと長く付き合うのが自然ではないかと誰もが思うだろう。なぜ革命後1年半でキューバを離れてしまったのだろうか。これは多くの人々にとって深い謎だ。
 キューバ共産党青年部の機関紙「フベントゥー・レベルデ(反逆青年)」が8月2日報じたところによると、ヘミングウェイ博物館(旧邸宅)のアダローサ・アルフォンソ=ロサレス館長は、「当時、キューバに駐在していたフィリップ・ボンサル米大使から、キューバに留まれば裏切り者と見なすと通告され、やむなく出国した」と語っている。館長はさらに、「このような圧力が作家の自殺につながった」と見ているという。
 当時のアイゼンハワー米政権は61年1月、キューバとの国交を断絶した。同月就任したケネディ米大統領は、前政権の決定を引き継いで、その年4月、キューバ島コチーノス湾ヒロン浜にキューバ人傭兵部隊を送り込んで侵攻作戦を撃つが、カストロ軍に撃破されてしまう。その後、62年10月、あのキューバ核ミサイル危機が勃発し、翌年ケネディは暗殺されてしまう。
 キューバと米国の関係が険悪な方向に急傾斜しつつあった時代に、ヘミングウェイは意に反する形で出国を余儀なくされたのか。館長の証言は検証が必要だが、いずれ新しい資料が出てきて、真相が明らかになるだろう。
 

2009年8月3日月曜日

『革命の侍』刊行間近!

伊高浩昭(2009年8月1日)

『革命の侍』刊行間近!
 ボリビアでチェ・ゲバラの下で戦い死んでいった日系ボリビア人フレディ前村の25年の生涯を描いたこの本は、フレディの実姉マリー前村とマリーの息子エクトルが書き、ボリビアで2006年9月に刊行された。この本を、本ラテンアメリカ研究所の受講生・松枝愛が翻訳した。長崎出版(東京神田)から8月6日に見本が刊行され、中旬に全国の書店で発売される。フレディとマリーの父は鹿児島県生まれの移住者で、この本は鹿児島県や在京鹿児島県人会などで強い関心を集めることになるはず。ラ米好き、ボリビア好き、クーバ好き、ゲバラ好き、南米好きにとって必読の書。

2009年7月31日金曜日

スペイン語勉強法(Webを使って)


久しぶりに涼しい1日ですが、皆様いかがお過ごしですか。
普段は講座の予習復習に時間がとられて余分な勉強をする時間をとることは難しいと思います。

今日は夏休みの時間があるときのための、Webを使った勉強方法をお知らせします。

スペイン語を学習する無料のサイトはいくつもあるのですが、ここでは特にお勧めのサイトをご紹介します。


まずは、東京外国語大学の言語モジュールです。
http://www.coelang.tufs.ac.jp/modules/es/index.html

全部で18の言語のモジュールがあり、発音・会話・文法・語彙などのセクションに分かれています。
上記に引用したサイトは、その中のスペイン語のサイトです。

1)発音編
スペイン語と日本語の発音の比較があります。
Webですから、スペイン語のUvaと日本語の乳母の違いを耳で聞いて確かめることができます。

それなりにスペイン語を長くやっていると、意味から聞き取りができるようになります。
ですが、本当にスペイン語の音を聞き取っているのでしょうか。 それがわかるのは、知らない単語を聞き取るときです。

映画やインタビューなどで地方色豊かな音を聞き取るとき、聴解力のなさを時間することがあります。
そうした意味で、上級者でも、もう1回発音編をやってみると、大変ためになると思います。

たとえば、pero perro peloの違いを自分がきちんと発音できているか、そして、どんな場合でもrと lの違いを聞き取ることができるか、どうかなどです。

また、elleや jなど日本語にない音の違いがよくわかる、そして、よく練習できるようになっています。

2009年7月27日月曜日

第6回ラテンビート映画祭


先日、ラテンアメリカ研究所上映会でご紹介した、第6回ラテン・ビート映画祭 LATIN BEAT FILM FESTIVAL2009からチラシが届きました。スペイン語・ポルトガル語圏の話題作が満載。チラシに掲載されている作品よりもまだ増えるようです。

本日、ラテンアメリカ研究所図書室に来た受講生と、「ラテン・ビート映画祭の中で、どの映画を見たらいいだろうね」と話していました(どこからか、『全部見て!』と言う声が聞こえてきそうです!)そこで、映画のオフィシャル・サイトを下記に貼ってみました。オフィシャル・サイトがあるものはオフィシャルを、ないものはOfficalの予告編と思われるTrailerを貼っておきました。

東京会場:新宿バルト9
期間:9月17日(木)~9月23日(水・祝)

大阪会場:梅田ブルク7
期間:9月23日(水・祝)~9月27日(日)

■『ARRÁNCAME LA VIDA』(命を奪って)
メキシコ2008年
http://www.youtube.com/watch?v=Pn3F_7nGbiM

■『CAMINO』(カミーノ)
http://www.caminolapelicula.com/
スペイン2008年
監督:ハビエル・フェッセル

■『LA BUENA VIDA』(サンティアゴの光)
チリ・アルゼンチン・スペイン・フランス
監督:アンドレス・ウッド
http://www.labuenavidapelicula.cl/

■『LOS DIOSES ROTOS』(壊れた神々)
キューバ2008年

■『LOS BASTARDOS』(よそ者)
メキシコ・フランス・米国合作
http://www.bastardos.com.mx/

■『EL TRUCO DEL MANCO』(クアホ、逆手のトリック)
スペイン2009年
http://www.eltrucodelmanco.com/

■『LEONERA』(女囚の檻)
アルゼンチン・韓国・ブラジル合作2008年
http://www.leoneralapelicula.com/

■『ESTOMAGO』(イブクロ ある美食物語)
ブラジル・イタリア合作2007年
http://www.estomagoofilme.com.br/

■『LOS AÑOS DESNUDOS/CLASIFICADA S 』(ヌード狂時代/R指定映画)
スペイン2008年
http://www.losañosdesnudos.com/

■『MENTIRAS Y GORDAS』(セックスとパーティーと嘘)
Official site
http://www.sonypicturesreleasing.es/sites/mentirasygordas/site.html
スペイン 2009年
監督:アルフォンソ・アルバセテ

2009年7月25日土曜日

第6回ラテン・ビート映画祭(スペイン・ラテンアメリカ映画祭)

第6回ラテン・ビート映画祭(スペイン・ラテンアメリカ映画祭)の案内がWeb上に掲載されました。

http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/

先日の「法王のトイレット」上映会とトークに出演していただいたアルベルト氏プロデュースの映画祭です。見てみると、どれも内容がぎっしりつまった必見の作品ばかり。ラテンアメリカ講座の学期中は時間的な都合もあってなかなか行けないけれど、9月は映画祭通いで忙しくなりそうですね。

先日このブログでも紹介した、川口のSKIPシティ映画祭が好評です。
ラテンアメリカ研究所事務局にも、何人かから感想をお寄せいただきました。

話題性、素材の良さ、評判が良くて当たり前ではありますが、
こうした素材を超えて「素晴らしかった!!」の声が届きました。

早速、研究所の「エル・システマ」の本も貸出中となりました。

2009年7月22日水曜日

佐野碩伝をものにした演出家岡村春彦

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト) 


 岡村春彦の『自由人佐野碩の生涯』(岩波書店、2009年6月26日発行、3800円)がついに出た。待望の本である。佐野碩(1905―66)は「セキ・サノ」として知られ、メキシコに近代演劇を植えつけた演出家で、「メキシコ演劇の父」と呼ばれるグラン・マエストロ(巨匠)だ。ラ米の演劇界でも広く知られている。ラ米に文化面で最も貢献した日本人が碩であり、このような日本人は再び現れないだろう。碩は1939年、革命大統領ラサロ・カルデナス(1895―1970、任期1934―40)時代のメキシコに政治亡命したが、経済目的や生活目的の移住者でない点でもラ米では前例のない日本人定住者だった。
 私は1967年3月にメキシコ市を拠点にラ米取材を開始したが、碩は半年前の66年9月心臓発作で死去していた。私のメキシコ時代には残念な取材上の思い出がいろいろあるが、碩に会えなかったのはとりわけ残念極まりないことだ。会っていれば当然、インタビューして長い記事を書いていただろう。
 1973年のある日、メキシコ市の私の元に岡村春彦(1935年生まれ)が訪ねてきた。前年からその年にかけて同市内にある大学院大学「コレヒオ・デ・メヒコ」で客員教授を務めた鶴見俊輔の紹介だった。岡村は初対面で、碩について本を書く目的を話し、私に取材上の協力を求めた。私は快諾し、メキシコ市での協力者の一人になった。岡村は、かつてヴィエトゥナム戦争報道で鳴らした写真家岡村昭彦の実弟で、舞台俳優と演出家を兼ねていた。私は、学生時代に昭彦の写真報道に敬意を払っていたことから、春彦に親近感を抱いた。
 私は、半年の時間差で碩に会えなかった悔しさを埋めるためにも、岡村の取材を応援しようと考えた。これはメキシコの演劇、演劇史、演劇人、演劇政策の取材であり、岡村の取材の一部に同伴するのは私にとっても有意義なことだった。そのころ私は、壁画家ダビー・アルファロ=シケイロス(1896―1974)を取材して何度も記事を書いていたが、碩とシケイロスはある局面で絡み合う関係にあった。

 碩は、戦前の軍国主義日本で演出家となって頭角を現したが、万能の特高警察による激しい弾圧が渦巻く暗黒日本を逃れるように、演劇理論を学び実習するため欧州に去る。東京で活躍していた1929年には、「インターナショナル」の歌詞を佐々木孝丸とともに邦訳している。「起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し」で始まるあの歌詞だ。31年に横浜港を出て、ロサンジェルス、ニューヨークを経て、ベルリンに渡り、モスクワに行く。翌32年から37年までモスクワに住み、演出家メイエルホリドの助手として働きながら、もう一人の演出家スタニスラフスキーの理論も直接体得する。碩は、モスクワでも一目置かれる演出家になった。
 スターリンの粛正の荒波が押し寄せる直前にパリに出たが、翌38年、折から激しい内戦が続いていたスペインのバルセローナで内戦の記録映画の撮影に携わる。この年、再びニューヨークに渡り、半年滞在して、39年メキシコに行く。軍国日本から〈国賊〉扱いされていた碩は、ソ連出国からメキシコ入国時まで、日本の出先機関から査証取得や入国で邪魔されっぱなしだった。死の脅迫を受けたこともある。
 メキシコ市に落ち着いた碩は、死ぬまで27年滞在したが、その間、出国したのは、演劇指導に招かれたコロンビア、革命キューバ、グアテマラの3国だけだった。メキシコ生活は、26年間の日本時代をわずかながら上回る長さだ。日本には晩年、演劇公演を目的に訪問する意志を示したが、実現しなかった。
 英、仏、独、露、西の5カ国語に堪能だった碩の周辺には、常に著名な芸術家、知識人の輪ができた。アグネス・スメドレー(米ジャーナリスト)、アンドレ・マルロー(仏作家)、エイゼンシュテイン(「メキシコ万歳!」のソ連映画監督)、石垣榮太郎・綾子、ディエゴ・リベラ(墨壁画家)、シケイロスら、交友録はまばゆいばかりだ。戦前日本の演劇人、小林多喜二を含む左翼作家らはほとんどすべて友人であり、当時の日本共産党幹部たちともモスクワで会っている。

 岡村は、碩が同棲していた米国人舞踊家ウォルディーンにまず会いたいと望んだ。碩のメキシコ時代で最も重要な女性である。メキシコ市内の住宅街に、彼女の広い稽古場があった。私は通訳を務めた。碩が晩年、活動したコヨアカン劇場の跡や、幾つかの劇場を訪ねた。碩を支援した芸術庁や電気労連も訪ねた。演劇人たちは口をそろえて碩の偉大さを讃えた。彫刻家イサム・ノグチの描いた壁画のある下町の生鮮食料品市場や、リベラやシケイロスの壁画のあるあちこちの古い建物を回った。中心街にある国立劇場ロビーは壁画の宝庫だが、この劇場を本拠としている国立民俗舞踊団の当時の団長アマリア・エルナンデスも、碩を師と仰ぐ演出家だった。国立劇場の近くには、碩が舞台としたことのあるイリス劇場もあった。
 リベラとフリーダ・カロが暮らしたコヨアカン地区の「青い家」や、夫妻が亡命者トロツキーに貸していた「トロツキーの館」にも案内した。トロツキーは1940年8月、スターリンの回し者にピッケルで脳天を割られて暗殺されたが、これに先立つ5月、シケイロス率いるメキシコ共産党の突撃隊が館を襲撃した。この時トロツキーは〈奇跡的に〉一発の銃弾も当たらず無事だったが、シケイロスは後年、「モスクワからの暗殺命令があったが、私は暗殺するつもりはまったくなかった」と語った。その気があったならば、トロツキーは殺されていたはずだ。だが3カ月後、暗殺されてしまい、一時、「モスクワから来た男・碩はスターリンの回し者ではないか」と言いふらされ、碩は警戒していたという。碩が助手を務めたメイエルホリドは40年2月粛正(銃殺)されており、「クレムリンの長い手」が及んでもおかしくないと碩が怯えたとしても不思議はない。
碩が短期間バルセローナで内戦の状況を映画にしていたころ、シケイロスは人民戦線義勇兵部隊の中佐として前線で戦っていた。1967年に私がシケイロスにインタビューしたとき、「私の人生で最大の出来事はスペイン内戦体験だった」と画伯は語ったのである[『メヒコの芸術家たち』(1997年、現代企画室)参照]。カルデナスは、スペインから逃れてきた亡命者を数多く受け入れた。余談だが、フリーダが、女癖の悪かった夫ディエゴへの当てつけで、トロツキーやノグチと関係を持ったのは周知の事実だ。
 岡村は、その後も2回、メキシコを取材し、90年代後半には原稿をほぼまとめていた。私は点検するよう依頼され、碩のメキシコ時代の記述について読ませてもらった。ところが2002年に衝撃的な知らせが届いた。岡村が脳出血で倒れたというのだ。原稿は、しばし眠るのを余儀なくされた。だが、家族ぐるみでリハビリテーションに取り組み、岡村は言語による会話をかなりな程度奪回した。そして演劇評論家の友人の力添えを得て、出版にこぎ着けたのだ。最初の取材から36年、周年が結実した。まさに労作中の労作だ。送られてきた本を手にして感慨無量だった。「碩に会えなかった無念」も大方吹き飛んだ。この本は、碩研究に新しい地平線を開いた。私は電話で岡村を祝福した。

2009年7月10日金曜日

キューバ映画祭2009、映画で学ぶスペイン語情報(その続き3)


そして、キューバ映画祭2009の情報も、いただいたチラシからお伝えします。

場所:渋谷ユーロスペース
期間:2009年9月26日(土)~ 10月9日(金)
<上映作品>☆印は、日本初上映!

<革命直後のキューバ/60年代名作集>
1. 「ルシア」 Lucia 
監督:ウンベルト・ソラス1968/デジタル・リマスター版/160 分/新訳
1969 年 モスクワ国際映画祭金賞

2. 「ある官僚の死」La Muerte de Un Brocrata ☆
監督:トマス・グティエレス・アレア
1966/デジタル・リマスター版/モノクロ/85 分
1966 年 カルロビバリ国際映画祭審査員特別賞

3. 「12 の椅子」Las Doce Sillas ☆
監督:トマス・グティエレス・アレア  1962/デジタル・リマスター版/97 分
1963 年 モスクワ国際映画祭 映画労働組合栄誉賞

4.「低開発の記憶?メモリアスー」Memorias del subdesarrollo  監督:トマス・グティエレス・アレア 1968/DV/97 分
1970 年 カルロビバリ国際映画祭ドン・キホーテ賞、FIPRESCI 賞
1974 年 全米批評家協会ローゼンタール基金賞

<90年代(ソ連崩壊後)から現代のキューバ>
5.「苺とチョコレート」 Fresa y Chocolate  監督:トマス・グティエレス・アレア/ファン・カルロス・タビオ  1993/ デジタル版/カラー/110 分/キューバ=メキシコ=スペイン  スペイン語から新訳
1995 年 スペイン・ゴヤ賞 最優秀スペイン語作品賞
1995 年 サンダンス映画祭 審査員特別賞
1994 年 アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
1994 年 ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員特別賞)
1993 年 新ラテンアメリカ映画祭作品賞ほか6部門受賞

6.「永遠のハバナ」Suite Habana  監督:フェルナンド・ペレス
2003/35mm/カラー/84 分/キューバ=スペイン
2004 年 カルタヘナ映画祭/監督賞、撮影賞 他

7.「シュガー・カーテン」Telon de Azucar ☆
監督:カミラ・グスマン・ウルスーア
2005/35mm→DVCAM/カラー/80 分/ドキュメンタリー/キューバ=フランス=スペイン
2007 年 新ラテンアメリカ映画祭 最優秀ドキュメンタリー作品賞 他

8.「パーソナル・ビロンギングス」Personal Belongings ☆
監督:アレハンドロ・ブルゲス
2006/35mm→DVCAM /カラー/99 分/キューバ=ボリビア
2007 年 グアダラハラ映画祭/エミリオ・ガルシア・リエラ賞他

<国際映画テレビ学校 X ガルシア=マルケス>
9.「3つの愛の物語」Con el amor no se juega ☆
監督:カルロス・ガルシア・アグラス(1話、2話)
トマス・グティエレス・アレア(3話)
1991/35mm→DVCAM /カラー/91 分/メキシコ=キューバ

10.「コロンビアのオイディプス」Edipo Alcalde ☆
監督:ホルヘ・アリ・トリアーナ
1996/35mm→DVCAM /カラー/96 分/コロンビア=スペイン=キューバ=メキシコ

11.「 愛しのトム・ミックス」Mi querido Tom Mix ☆
監督:カルロス・ガルシア・アルガス
1991/35mm→DVCAM /カラー/90 分/メキシコ=キューバ
1991 年 新ラテンアメリカ映画祭/最優秀女優賞 アナ・オフェリア・ムルギア

12.「キューバ短編集」
「我らが土地」Esta Tierra Nuestra /1959 /Doc./19 分/トマス・グティエレス・アレア
「チャチャチャの哀愁」Nostalgia del Cha Cha Cha/1991/Doc./17 分/ミゲル・トーレス☆
「オバタレオ」Obataleo/1988/Doc./11 分/ウンベルト・ソラス☆
「フィルミヌート」vol.1/1980/Anime/6 分/ホアン・パドロン
「キューバの女優たち」Cualquier Mujer/2005/7 分/タマラ・モラーレス☆

映画で学ぶスペイン語(続き~その2)


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭より

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009(第6回)は、7月10日[金]~20日[祝・月]までの11日間、彩の国ビジュアルプラザ 映像ホールをメイン会場に開催されます。
会場はJR川口駅より、無料直行バスで約12分、SKIPシティ映像ホール。
入場券:コンペ作品(下記はどれもコンペ作品のようです)の場合、前売りだと600円、当日券の場合は1作品、800円。3回券の場合は1500円のようです。詳細は下記HPよりお確かめください。

海外作品

①映画「めざめ」2008年/スペイン、ポーランド/100分
日時:7月12日[日]10:30~と7月14日[火]15:00~
青年は心の幻影と決別しなければならなかった…スペイン・ポーランド合作の青春映画。
8歳の時に母親に捨てられたマルセルは、祖父パスカルの元で、たくさんの愛情を受けて育った。時が過ぎ、21歳になったマルセルは、唯一の家族である祖父の元を去り、ガールフレンドと暮らしたいと思うようになるが・・・。
監督: フレディ・マス・フランケサ 出演: エクトル・アルテリオ、アルベルト・フェレイロ、モニカ・ロペス
http://www.terraalavista.com/awaking/index.html

②映画「エル・システマ ~音楽の喜び~」El Sistema  2009年/ドイツ/102分
日時:7月12日[日]17:00  7月15日[水]14:00
音楽の力は、大人を、子供たちを豊かに変えていく…感動のドキュメンタリー。
今から30年以上も前、ベネズエラの音楽家ホセ・アントニオ・アブレオによって設立された画期的な音楽教育制度、エル・システマ。交響楽団に参加し、音楽を奏でさせることで、25万人以上もの貧しい子供たちに喜びと希望をもたらしていく。
監督: ポール・スマチュニイ、マリア・シュトートマイヤー 出演: ホセ・アントニオ・アブレオ、グスタヴォ・ドゥダメル、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ

③ 映画「少女マサンヘレス」Masangeles  2008年/ベルギー、チリ、キューバ、スイス、ウルグアイ/123分
日時:7月16日[木]14:30   7月18日[土]16:00
少女が見つめる混沌とした大人たちの社会…南米を舞台に繰り広げられる家族の物語。
1966年、ウルグアイ。優秀な政治家・アウレリオを父に持つマサンヘレスは、7歳の時に母を自殺で亡くした。世の中は市民戦争で苦しんでいる。彼女が生き残るためには、アウレリオの自分勝手な家族たちに順応して生活するしかなかった。
監督: ベアトリス・フローレス・シルバ 出演: アントネーラ・アキスタパチェ、エリサ・ガルシア・レステル、エクトール・ギド
http://www.youtube.com/watch?v=qa8h9KT3D5w


④映画「ノラの遺言」   2008年/メキシコ/92分
日時:7月16日[木]15:00  7月19日[日]11:00
豪華な食事のレシピに美しいテーブルセッティング…全ては自分の死後のためだった。
近所に住む元夫のホセに自分の遺体を任せるため、ノラは死ぬ前にある計画を立てる。しかし、ベッドの下に忘れられたミステリアスな一枚の写真が唯一の落とし穴となり、完璧だった彼女の計画を予想外の結末に導いてゆく。
監督: マリアナ・チェニッリョ 出演: フェルナンド・ルハン、セシリア・スアレス、アリ・ブリックマン

http://www.skipcity-dcf.jp/program/feature/#outline

映画で学ぶスペイン語(続き)


先日の「法王のトイレット」は観てくださいましたか?
アンケートの集計を読むと、とても喜んでいただけたようです。

今週でラテンアメリカ講座も終わりますね。
これから長い夏休みが始まります。こうした講座のない期間を利用して、旅行をする人もいるかもしれませんが、身近な勉強法、そして、楽しみとして映画もあります。

しばらくの間、そのほんの一部を紹介していきたいと思います。

最初は、
アテネフランセを行われている映画の特集です。料金は一般の方は1000円です。詳細はHPからお確かめになってください。

映画のテーマ:特集 ロシア・ソビエト映画史縦断 1943-1995
料金:1回券、1000円
日時:2009年7月21日~8月15日
場所:アテネフランセ文化センター

①映画:ドン・キホーテ(グリゴリー・コージンツエフ監督) 1957年 106分 
日時:7月23日(木)

②映画:情熱の生涯ゴヤ(コンラート・ヴォルフ監督) 1971年 136分  
日時:7月31日(金)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/r2/r2.html

2009年7月6日月曜日

ラテンビート映画祭協力の上映会とトーク


「法王のトイレットのポスター」

ラテンビート映画祭の全面的な協力を得て、2009年7月4日(土)にウルグアイ映画「法王のトイレット」とトークが行われました。約150名が来場し、日本では伝えられることの少ないウルグアイの上映を観客の皆様に喜んでいただけました。

アンケートを集約すると、貧しさ、社会の問題も重くなく明るく描かれている。ラテンの明るさが印象的、人情が良い、法王へのシニカルな視点が興味深い、見る機会のないウルグアイの映画を見ることができてよかった。・・・などなど。

トークの印象は、温かく、アトホームでとてもよかった。楽しかった。など。

今回の上映にはラテンアメリカ講座受講生の多くの方々にご協力いただきました。
トイレと同じで上映会までにはドキドキのエピソードもありましたが、当日はとてもたくさんの人が来てくださいました。見る機会の少ないスペイン語圏の映画を紹介するラテンビート映画祭に興味を持ってくださった方も多かったようです。アンケートでも、「ラテンビート映画祭にぜひ行ってみたい」という声がありました。

アルベルトや多くのスタッフのがんばりで今年のラテンビート映画祭にはたくさんの人が訪れるでしょうね。上映作品が決まり次第、「ラテ研便り」のブログでもご紹介しますね。

第6回ラテンビート映画祭

日時:9月17日(木)~9月23日(水)   場所:新宿バルト9

2009年6月24日水曜日

オルテンシア・アジェンデ夫人死去

 チレ人民連合(UP)社会主義政権の大統領・故サルバドール・アジェンデの夫人オルテンシア・ブッシ・デ・アジェンデが6月18日首都サンティアゴの自宅で、老衰により94歳で死去した。旧国会議事堂で20日挙行された葬儀でミチェル・バチェレー大統領は、「独裁への抵抗の象徴に、抑圧に苦しんだ者たちの力強い声に、別れを告げに来ました。政府を代表して、サルバドール・アジェンデ大統領とともにあり、独自の功績もあった偉大な女性に誠を捧げ、お別れを告げます」と涙声で弔辞を読んだ。

 葬儀には大統領のほか、1990年3月の民政移管後、政権を担ったパトゥリシオ・エイルウィン、エドゥアルド・フレイ、リカルド・ラゴスの3人の大統領経験者、ペルー首相ジェウデ・シモンら数千人が参列した。メヒコ、ブラジル両政府、故フランソワ・ミッテラン仏大統領夫人ダニエルなどからの多数の弔電が披露された。オルテンシアが長らく亡命生活を送ったメヒコの政府弔電には、「故人はメヒコを第2の祖国と呼び、帰国後もしばしばメヒコを訪れた」と記されていた。

 棺はサンティアゴ大聖堂で冥福の祈りを受けた後、1973年9月11日の軍事クーデターで死んだアジェンデ大統領の遺体が搬出されたモネーダ宮(大統領政庁)の門の前など故人ゆかりの地を回ってから、死の外れの国立墓地に運ばれ、アジェンデ廟に埋葬された。沿道では、涙の市民が葬列を見送った。

 青年時代にアジェンデ大統領の護衛を務め、クーデターを生き延びたチレ人で、米国に住み劇作家・作家として活躍しているアリエル・ドルフマンは、以下のような文章を故人に捧げた。

***************************************
「テンチャを依然見つめつつ」
――オルテンシア・ブッシ・デ・アジェンデの死を悼んで――

                           アリエル・ドルフマン
  
 私が初めて真のテンチャ(オルテンシア=紫陽花=の愛称)を見、理解したのは、1974年3月のローマでのある日のことだった。もちろん私は以前、さまざまな機会に彼女を見ていた。私は彼女の二人の娘イサベルとタティーの友だちだったため、彼女の自宅で見ていた。大統領政庁でも彼女を見た。私はアジェンデ大統領の下で働いていて、大統領夫人としての任務をこなしていた彼女を見ていたのだ。チレ革命の行進、集会、闘争のさなかにも見た。だが、それらは別のテンチャだった。民主主義のチレ、平和なチレ、彼女の夫が生きていてチレが正義と自由に向かって前進している時代のことだった。

 私がローマでテンチャに会ったのは、1973年9月の軍事クーデターの半年後に組織されたラッセル法廷でのことだったが、彼女はまったくの別人になっていた。彼女は痛みと喪失によっても挫けなかったばかりか、巨きくなっていた。いつそのように変身したのかはわからない。たぶん、死に顔を見ることを許されないまま亡夫の亡骸を埋葬しなければならなかった時だろう。たぶん、メヒコ大統領が派遣した特別機に乗り、その後長らく帰国することのなかった亡命地へ旅立ち、敗者として帰国することは絶対にないと誓った時だろう。たぶん、アジェンデが不在になったことによって、ピノチェーによって恥辱にまみれさせられたチレの希望を体現する役割を、ちりぢりになった抵抗運動を団結させる役割を、蹂躙されたチレ人民を世界で代表する役割を認識した時だろう。

 彼女は60歳に近づいており、その後の人生を孫たちのために費やしたり、幾多の死、幾多の悲劇、幾多の精神錯乱を前に静かな生活をしたりするのが許されてしかるべきだったかもしれない。だが事態は深刻だった。祖国は孤児になって喪に服し、夜間誘拐されたかのように消え去りそうになっていた。そして彼女は、それを許さなかった。

 その日の午後ローマで、彼女はほとんど聞き取れないような声で話した。その話は単に率直であるだけでなく、実践主義と洞察力に富んでいた。とりわけ彼女が尊厳に充ち満ちていたのに気づかされた。そして彼女の声に、何百万人もが話し何百万人もが聴いていたと思わせる確かさがあったのが印象的だった。

 私は敢えて、彼女と友人だったと言おう。彼女にその後メヒコ市、パリ、アムステルダム、ロンドンで再会し、協同したが、彼女が後退し迷い忘却するのを見たことがない。正義を、最も必要としていた人々のために果たす役割をやめるのを見たことがない。そしてついに1988年のあの日が来た。ピノチェーの政権長期化にノーを唱える国民投票の運動に参加するため彼女は帰国し、大歓迎されたのだ。独裁は終焉に向かい、テンチャは祖国に居て、歩みの遅い民主主義復活の過程に携わった。そして、サルバドール・アジェンデの遺体を、甦った人民とともに正式に埋葬する日が来た。思慮分別の声が、忍耐の声が、もう一つの異なる世界が可能だという絶対的な信念の声が必要な時、彼女は常にそこに居た。私たちが長く困難で複雑な過渡期にあった歳月、テンチャはいつもそこに居た。

 数々の思い出、笑顔、偉業、涙、旅行の何が私に残るのだろう。メヒコ市から友人が電話でテンチャが死んだと伝えてきた今、何が私に残るのだろう。それは次のようなものだ。テンチャが私と会うたびに真っ先にしたのは、演説の準備をしなければならない時でも、非常事態に否応なしに直面しなければならない時でも、どんな場合であっても、私の妻アンヘリカと息子たちのことを訊ねることだった。真にそうするのが重要だったからだけでない。会うたびに成長していた息子ロドリゴを見ていたからだけでない。妻とともに失踪者のための断食ストライキをしていたからだけでない。亡命地オランダである寒い日の夜に生まれた次男ホアキンを生後二ヶ月で見たからだけでない。背後には、もっと深い理由があったと思う。

 夫、祖国、老年期の平和さえも失っていた彼女は、密かにメッセージを送っていたのだと思う。すべての亡命者のため、チレで苦しみ戦っていた人々のためにささやいていたように、私にも語っていたのは、私たち全員が一つの大きな家族であるということだった。あの驚嘆すべき女性テンチャが語っていたのを忘れない。隔絶と喪失だらけのこの悲しみに満ちた世界で、決して死ぬことのないチレの母、姉妹、祖母であるテンチャが、私たちとともにいつもいることを思い続けたい。(伊高浩昭仮訳)

2009年6月22日月曜日

アルゼンチン大使館主催の映画鑑賞会


6月初旬にセルバンテス文化センター行われたアルゼンチン週間には行きましたか?
東京にある数多くの大使館のなかでもとりわけ文化活動に力を入れているのが、アルゼンチン大使館です。

今日はアルゼンチン大使館からのお知らせです。
アルゼンチン大使館は今年の春から、毎月無料の映画鑑賞会を行っています。
これまで、ラテンアメリカ研究所の掲示板には掲載してきましたが、今回は特別にブログに掲載する許可をいただきました。ぜひ、申し込んでみてください。

各国大使館は、日本国内でありながら、その国ならではの雰囲気を持っています。
そんな素敵な大使館で行われる、知る人ぞ知る映画鑑賞会!
上映される映画も日本では公開されていないものです。

下記に詳細を記します。

*********************
アルゼンチン共和国大使館は、2009 年6 月25 日(木)18 時30 分より、トリスタン・バウアー監督による「火に照らされて(Iluminados por el Fuego)」を大使館内オーディトリアムにて開催いたします。

会場:アルゼンチン共和国大使館 オーディトリアム
日時:2009 年6 月25 日(木) 午後18 時30 分より
映画:「火に照らされて(Iluminados por el Fuego)」
音声:スペイン語、字幕:英語 103 分、2005 年製作、ジャンル:ドラマ 入場料:無料

「火に照らされて」は、1982 年若干18 歳でマルビナス戦争に徴兵された、現在40 歳のアルゼンチン人元軍人エステバン・レギサモンの物語である。エステバンはかつて一緒に戦った戦友の自殺未遂をきっかけに、自殺を図ったバルガス、戦死したフアンと共にした戦闘の日々を思い出しはじめる。その経験とは、戦争自体の恐怖にとどまらず、寒さや空腹による心身の苦痛、そして友情や団結が走馬灯のように頭を巡る。エステバンの視点から描写されるこの映画は、死んでしまった彼の心の中にゆっくりと入り込んでいく。終戦20 年後になった今、エステバンは過去と向き合い、心の古傷を癒すためマルビナス諸島に戻る。

映画で学ぶスペイン語


ラテンアメリカ研究所では7月4日(土)にウルグアイ映画の上映会をします。

ウルグアイの風景、人情、スペイン語に触れる良い機会です。


こうした映画、DVD鑑賞などは生きたスペイン語に接するチャンスです。

スペイン語のテキストやCDによる限られた表現とは異なる発音、発想に触れることもできます。


無料で見ることができる映画情報などをお届けしますので、ぜひ足を運んでみてくださいね。


2009年6月17日水曜日

図書館案内


みなさん図書館利用証は手にされましたか?
この利用証を使うといろいろな図書館を利用することができます。
ぜひ、有効に活用してください。

本日ご紹介したいのは、立教大学のシンボルとも言える、本館のライブラリーです。
金曜日は21時まで土曜日も20時まで開館しています。
貸出期間は2週間です。講座にいらしたときにぜひ利用してみてください。

2009年6月12日金曜日

Fiesta Argentina in お台場


先日セルバンテス文化センターで行われたアルゼンチン週間は素晴らしかったですね。アルゼンチンの大地に吹きわたる風を体で感じることができた時間でした。

さて、アルゼンチン大使館よりFiesta Argentina 2009 お台場のチラシが届きました。ラテンアメリカ研究所においておきますので、図書室に来た方はどうぞお持ちください。

1ra FIESTA ARGENTINA 2009 in ODAIBA Aqua City 6F
第1回フィエスタ・アルヘンティーナ 2009 in お台場  
主催:フィエスタ・アルヘンティーナ実行委員会、日本ラテンアメリカ文化交流協会
後援: アルゼンチン共和国大使館 日本マテ茶協会  
共催: 臨海副都心まちづくり協議会 アクアシティーお台場
日時:   7月11日(土) 12時から20時        
       7月12日(日) 12時から19時  
内容: アルゼンチンの音楽と踊り タンゴ・フォルクローレ
      タンゴ歌手 セルヒオ・ビジャロエル
      フォルクローレ演奏者: ルイス・サルトール
      フォルクローレダンサー:エポ
       ダンサ・エレンシア
      マテ茶(飲むサラダと言われています)の試飲、
      アルゼンチンの飲み物、食べ物購入できます。
入場無料、予約不要

2009年6月11日木曜日

6月のキャンパス


チャペル近くのくちなしが満開です。

梅雨が本格的に始まりました。この季節のキャンパスでは次から次へと花が咲きます。 お出かけの時にひとときのお散歩を楽しんでみては?

2009年5月27日水曜日

紫陽花  Hortensia


立教のキャンパスを歩いていると季節の移り変わりを感じます。
バラも盛りを過ぎ、紫陽花の季節が始まりました。
登校時、ときどきは本館側キャンパスで散歩なども楽しんでください。

2009年5月21日木曜日

Semana Argentina en el Instituto Cervantes en Tokio


セルバンテス文化センターで行われる、アルゼンチン週間のご紹介です。

6月2日(火)19:00
エルネスト・サバト・出版発表会
「作家とその亡霊たち~アルゼンチンから世界文学へ~」日本語/スペイン語同時通訳つき

6月3日(水)19:00
「アタウルパ・ユパンキに捧ぐ、ギター・コンサート&講演会」
浜田滋郎氏のトークと
アルゼンチン・ギタリスト、アリエル・アッセルボーン、レオナルド・ブラボを迎えてのコンサート

6月4日(木)18:00
ドキュメンタリー上映「ボルヘス、南米の運命」、スペイン語上映日本語字幕つき
ハイロ・アストリコ コンサート

詳細はこちらから
http://www.tokio.cervantes.es/jp/default.shtm

キリバン


偶然ですが、記念すべき「10000」のキリバンを踏んでしまいました。

キリバンを踏んだ方に記念品を用意していたわけではないのですが、
本日は一人で祝杯でもあげようかと思います。

1万を超えるまで約1年と1月ちょっとかかりました。
皆様のご協力に心から感謝いたします。

2009年5月20日水曜日

Haruki Murakami

Cumbre de escritores en Santiago
12.03.2009 Haruki Murakami y Molina Foix llegaron ayer a Compostela para recoger sus premios San Clemente

http://www.elcorreogallego.es/indexCanales.php?idMenu=107&idNoticia=405066


5月末に村上春樹の新刊が発売される。首を長くして待っているファンがたくさんいるだろうと思う。

同じように彼の作品の翻訳を首を長くして待っているスペイン語圏のファンも数多く存在する。

2009年3月、村上春樹はガリシアのサン・クレメンテ文学賞を受け取るためにスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れた。

ガリシアの高校生たちが審査員となって決めた受賞作は「海辺のカフカ」。

今回ガリシアを訪れたのは「純粋な好奇心から。作品を選んでくれた審査員である十代の若者たちに会ってみたかった。」と述べ、授賞式後は世界遺産である王立カトリック両王巡礼者施設で審査をした若者たちと語らい食事をとったそうだ。
(食事会の様子についてはEl Paisの記事が詳しい)
http://www.elpais.com/articulo/cultura/cena/gallega/Murakami/elpepucul/20090314elpepicul_1/Tes

http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=46&idioma=CAS&idnoticia_PK=594476&idseccio_PK=1013

この記事を読むと村上春樹が公の場に姿を現さないということはスペインでも周知の事実であるようだ。授賞式に出席したのは奇跡だと言っている。

今回の彼の訪問時に出版された「走ることについて語るときに僕の語ること」の翻訳も「アフターダーク」どちらもスペイン語(カスティーリャ語)よりも先にガリシア語の翻訳が出版されたとのことだ。

またこの記事は5月末に出版される村上春樹の新作についても語っている。

«Realmente, la última la entregué la semana pasada al editor, así que saldrá pronto en Japón. Es así de grande», explicó, extendiendo los dedos índice y pulgar casi todo lo que puede. «Muy gruesa, ufff. Me levanté todos los días a las cuatro de la mañana y me puse a escribir. Es la hora en la que mejor me concentro. Escribí unas cinco horas seguidas. Y así todos los días, durante dos años, hasta que la terminé». Se pasa la mano por la frente, como si finalizase un maratón. «Pero ya está. ¡Voilà!» Del libro aún no sabe el título ni en inglés ni en español («además, seguro que tardan en traducirlo», apuntó), pero sí sabe a que suena. «A Bach, a Louis Amstrong y… y ya está».

・・・・・毎日朝4時に起きて、書き始めました。僕はこの時間が一番集中できるのです。毎日5時間集中して書きました。2年間、書き終わるまでずっとそれを続けました・・・・・

・・・翻訳されるまでには時間がかかるのは間違いないが、出版される長編がどのような響きを持つのかはわかっている、「バッハ、そしてルイ・アームストロング・・・の響きを奏でる・・」のだそうだ。


どちらも詳細はスペイン語でどうぞ・・・

<文責:篠塚>

2009年5月11日月曜日

5月のキャンパス


5月のキャンパスといえば芍薬、バラ、藤でしょうか。
今日は芍薬をお届けします。

2009年5月1日金曜日

新型インフルエンザ(Fiebre porcina)

日本では新型インフルエンザと呼ばれるようになったが、スペイン語圏のニュースではまだgripe porcina とか fiebre porcina とか「豚」という形容詞がついている記事が多い。

そんな中、新型インフルエンザが日本で発生したらどうなるか、の先を行くようなニュースを見つけた。
メキシコの雑誌、Procesoのデジタル版である。

http://www.proceso.com.mx/opinion_articulo.php?articulo=68393

上記の記事からの抜粋。

Así, de un día a otro, la ciudad de México transformó su cara. El tráfico disminuyó, salieron aproximadamente medio millón de personas a ciudades aledañas como Cuernavaca y Querétaro y otros más aprovecharon para mandar a sus familias a las playas más cercanas de Guerrero y Veracruz.
メキシコシティーはその表情を変えてしまった。行き交う車は減り、50万人もがシティーから近郊の都市へ移り住み、もっと多くの住民が家族を近くの海辺の町に疎開させた。

En las farmacias se agotaron los antigripales y los cubrebocas, y en los supermercados han empezado a surgir compras de pánico de alimentos enlatados, agua, verduras y carnes, menos la de puerco, a pesar de que ya se dijo que el contagio es de humano a humano.

薬局では風邪薬とマスクが売り切れ、スーパーでは缶詰、水、野菜、肉のパニック買いが起き始めた。人から人への感染であると言われているのに、豚肉は売れ残る。

Abarrotados los hospitales, clínicas y centros médicos de toda la ciudad, los que sufren un catarro o gripe son vistos como un peligro. Un estornudo es signo de peligro y pobre de aquel que lo haga en público porque de inmediato es señalado con las miradas y marginado de cualquier grupo.

町中の病院、診療所はどこもすし詰め。風邪をひいている人は危険物そのもののように見られる。くしゃみをすれば危険物のレッテルが貼られる。公衆の面前でくしゃみをすれば刺すような視線で、集まりから締め出される。
・・・・・
・・・・・

2009年4月25日土曜日

登録の日


雨の中をミッチェル館まで足を運び、登録をしてくださった受講生の皆様ありがとうございました。

皆様のご協力なくしてはラテンアメリカ講座の維持していくのは大変難しいだろうと感じた1日でした。

授業で機器の設定を手伝ってくださった、ベテランの受講生の方、連絡してくださった受講生。

今時の講座運営とは、かけ離れた形を温存しているラテンアメリカ講座がなんとか現代でも生き延びているのは、本当に受講生の皆様のおかげだと思います。

そんな風変わりなところだから、講師の先生方も力を尽くしてくださるのでしょうか。

2009年度もどうぞよろしくお願いいたします。


2009年4月23日木曜日

総合研究センター図書室 Biblioteca del Instituto


明日から登録が始まります。

登録はミッチェル館の2階、ラテンアメリカ研究所で受付をします。登録が終了したら、ぜひミッチェル館1階にある、総合研究センター図書室に足を運んでみてください。


総合研究センターには、地域研究の研究所の図書があります。ラテンアメリカ研究所は45年の歴史があり、その頃からラテンアメリカ図書を収集しているため、現在では絶版になってしまっている図書がたくさんあります。


日本語で書かれたラテンアメリカおよびイベリア半島に関する本をほぼ網羅しているというのは、世界でも類をみないものだと思います。その上、すべての本が開架で陳列されています。

2009年4月21日火曜日

ラテ研の仲間たち(los alumnos de este curso)


こんにちは。

新しい受講生のみなさんへのご紹介も兼ねて、少しずつラテ研の紹介をしていきます。

先日の懇親会でもおわかりになったかと思いますが、この講座にはリピーターの受講生が数多く存在します。なかには、ご家族で参加していらっしゃる方もおります。母と娘、夫婦は何組か存じ上げているのですが、もしかしたら、父と息子という関係もあるのかもしれません。

ラテ研で知り合って結婚なさったご夫婦もいます。 (ちなみに夫の友人です)

こうしたご家族たちは一緒に入会する場合もありますし、「とても良いから」と、一緒に通う場合もあるようです。

¡Hola!

Quisiera presentar a los nuevos alumnos cómo es nuestra comunidad.

Como se podía sentir en la fiesta de encuentro de los nuevos y veteranos alumnos de la semana pasada, en este curso existen alunmos veteranos que llevan años aquí entre los cuales existen quienes llevan más de 10 años, hasta más de 20 años, ¡Imagínense!

Entre los cuales hay alumnos parejas; matrimonios y madres e hijas. No sé si existen también padre e hijo....

Exisiten también matrimonios que se encontraron en este curso, y se casaron( La verdad es que una de estas parejas son conocidos de mi marido)

Estos alumnos a veces entran en el mismo año, y otras veces entran algunos años después...


(事務局)

2009年4月18日土曜日

Fiesta


Fiesta
4月18日、恒例の開講式後のFiesta(懇親会)が開かれました。
今年はビールの本数を増やし食べ物の予算を増やしたのだけれど、どうだったでしょうか。
久しぶりに会う仲間たち、そして、新しい仲間。
Somos compañeros  共にパンを食べることで仲間となっていきます。
パンだけではなくてお酒もおともに仲間が増えていくのかもしれませんね。

開講式(Ceremonia de apertura)


開講式の様子、所長の話。Ceremonia de apertura, discurso del director
今年で3回目となる開講式に多くの新旧受講生が集いました。
今年から2年間の任期を務める新所長によるマヤの話の後、ご参加いただいた講師の方々に各授業の紹介をしていただきました。今年は3人の新しい講師を迎えます。

Se han reunido muchos alumnos nuevos y veteranos para escuchar las presentaciones de los profesores. Este año contamos con las presencias de 3 profesores nuevos.
Empezando con la charla del director sobre los Mayas, los profesores han presentado qué van a tratar en su clase.

2009年4月14日火曜日

オバマ大統領 キューバ制裁を緩和




今週は新規受講申し込みの受付に大忙し!
これまでさぼっていた、所報発行の大詰めも重なってしまいました。

今回の研究所所報は、1月に行われた遅野井先生の講演、伊高先生の寄稿など、今後のラテンアメリカ情勢の方向性を予測する糧となりそう。

そんななか、ニュースを見つけました。
一部をご紹介しますので、続きは上記の写真の下にあるURLから各自で訳してみてくださいね。
(記事はBBC el mundoのものです)

Obama flexibiliza restricciones a Cuba
オバマ大統領キューバ制裁を緩和!
Carlos Chirinos BBC Mundo, Washington

En una inusual rueda de prensa bilingüe la Casa Blanca anunció este lunes el levantamiento de restricciones de viajes a Cuba para los cubano-estadounidenses, una promesa que había hecho en campaña el entonces candidato Barack Obama.
今週月曜日、異例の英西二カ国語での米国大統領官邸の記者会見において、キューバ系アメリカ人に対するキューバへの渡航制限撤廃が発表された。これはオバマ大統領の選挙戦中の公約だった。

"El presidente ha pedido a los secretarios de Estado, del Tesoro y de Comercio que tomen las acciones necesarias para levantar todas las restricciones sobre la visita de familiares en Cuba y el envío de remesas", dijo al abrir la rueda de prensa el portavoz de la Casa Blanca Robert Gibs.
「オバマ大統領は国務長官、財務長官、商務長官に対し、在キューバ家族訪問に関するすべての制限を撤廃するために、必要な措置を取るよう指示した。」ロバート・ギブス大統領報道官は、記者会見の開口一番、このように述べた。

Acto seguido Gibbs dio la palabra a Dan Restrepo, asesor de la presidencia para asuntos hemisféricos, quien presentó en español las razones del gobierno para eliminar las restricciones establecidas hace cinco años por el presidente George W. Bush.
次に報道官は、米州問題担当の大統領顧問である、ダン・レストレポ氏にマイクを譲り、5年前に、当時のブッシュ大統領が制裁強化のために設定した制限措置を撤廃する理由をスペイン語で発表した。

"Se trata de extender la mano al pueblo cubano, no al gobierno", dijo Restrepo al explicar el alcance de las medidas, las que aseguró eran el cumplimiento de una promesa hecha por Obama en Florida durante la campaña electoral del año pasado.
「キューバ人民に対し手を差し伸べるということです。」レストレポ大統領顧問は緩和措置の適用範囲をこのように説明した。昨年、大統領選中のフロリダでの公約をオバマ大統領が果たすことを確約した。

Paquete de regalos
緩和措置の内容

Las medidas anunciadas eliminan las restricciones de viaje para los cubano-estadounidenses con familia en Cuba, quienes hasta ahora sólo podían viajar a la isla una vez al año, según cambios hechos en las últimas semanas en el Congreso. El resto de los ciudadanos estadounidenses seguirá sin poder viajar a Cuba.
発表された緩和措置の内容はキューバ系アメリカ人の在キューバ家族訪問への制限撤廃、数週間前に議会で承認された規制措置変更によりこれまでは1年に1回だけの渡航が許されていた。それ以外の米国人は今後もキューバへの渡航は認められない。
・・・・・
この後にもたくさん大事なことが書いてあります。
ぜひ自分で訳してみてくださいね!

2009年4月8日水曜日

ガルシア=マルケスが「書くこと」を強調

寄稿  伊高浩昭(ジャーナリスト)

 コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(81歳、愛称ガボ)は、同国の有力紙エル・ティエンポの電話インタビューに応じて、「唯一確かなのは、私には書くこと以外にすることがないということだ」と語った。同紙日曜版(4月5日付)が報じた。

 この新聞がメキシコ市在住のガボに質問したのは、ガボに近い出版関係者やガボの伝記作家らが最近、「ガボが新たに小説本を書くことはなさそうだ」と相次いで口にしたことから、本人の真意を確かめるためだった。ガボは、筆はまだ捨てないと示唆したわけだ。

 ガボは、「本を書く」という点について、「私の仕事は書くことであって、出版することではない」と、やや皮肉を込めて答えている。

 2004年に世に出た『私の哀れな売春婦たちの思い出』が最新作として知られるが、未発表の作品があってもおかしくないし、新たな執筆に挑戦するのも自然なことだ。今回の発言で、ガボの愛読者には楽しみができた。

(了)

2009年4月6日月曜日

立教大生のための講座ガイダンス(新座キャンパス)


桜が満開の新座キャンパスにて立教大学新入生のための講座ガイダンスが行われました。

立教大生がラテンアメリカ講座に登録する場合には8割引という大幅な登録料の割引があります。
ラテンアメリカ講座には立教大学の卒業生が数多く学んでいるのですが、なかには、在学時にはラテンアメリカ講座の存在を知らなかったという人もいます。そんなことのないように、そしてスペイン語、ポルトガル語を学んだり、ラテンアメリカを知るには、他のどこよりも恵まれた環境にある講座を知ってもらうためのガイダンスです。

立教大生は作文や面接などは免除になっています。
ぜひ直接公開授業(お試し期間)に足を運んでみてください。

その後の懇親会(フィエスタ)でもお待ちしております。

2009年4月4日土曜日

桜便り(ミッチェル館)


受講生の皆さん、そして、今年からラテンアメリカ講座を受講する予定の皆さん、お元気ですか?

昨日のミッチェル館の桜をお届けします。
今年は早めに咲くかなと思っていましたが、ここしばらくの寒さで開花も足踏み状態となり、昨日あたりが8分咲きから満開だったようです。

もう少しでラテンアメリカ講座が始まりますね。
現在、事務局はやっと2008年度の仕事がほぼ終了し、立教大生向けの講座ガイダンスや、一般向けの受講オリエンテーション(今年から試験的に面接を取りやめ、その代りに外国語のレベルを知るための作文を導入)の準備を行っています。

今年は大幅に講座の内容も変わりました。前にもまして、多様な新入生との交流が始まりますね。
今年の新旧交流会である懇親会(18日17時より)で、どんなお話を聞けるのか楽しみにしています。

2009年3月23日月曜日

ブエノスアイレスで盛大に<石蹴り遊び>

特別寄稿:伊高浩昭(ジャーナリスト)

【先月、本欄に「コルタサル没後25周年に寄せて」を寄稿しました。その続報をまとめました。】

 アルヘンティーナの作家フリオ・コルタサル(1914―84)の没後25周年記念行事は、祥月命日の2月12日から続けられていたが、3月21日、この作家の代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』(1963年)に因んだ大がかりなパフォーマンス「ラユエラルテ」で終わった。

 「ラユエラルテ」とは、ラユエラ(石蹴り遊び)とアルテ(芸術)を組み合わせた言葉。ブエノスアイレスの目抜き「7月9日」大通りの120カ所に貼り付けられた縦8メートル、幅2メートルの石蹴り遊び場と、これを描いた創作行為そのものを意味する。ポルテーニョ(港人=BsAs子)や旅行者は童心に返って1時間、石を蹴り飛び跳ねて遊んだ。

 大通りのアスファルトに、原色を組み合わせたサイケデリックの美しい彩りで遊び場を出現させたのは、亜国の造形作家マルタ・ミヌヒーン。数十人の演奏家がサクソフォーンで、コルタサルが好んだチャーリー・パーカーのジャズを演奏するなか、人々はコルタサルの本などを提示して、石蹴りに参加した。

 予定の1時間が過ぎると、遊び場ははがされ、車がひっきりなしに走る普段の大通りに戻った。この粋なハプニングないし「アルテ・エフィメロ(はかない芸術)」を企画したのは、首都市庁文化局。タンゴの本場でジャズというのが、セピア色っぽく床しい。

(了) 

2009年3月21日土曜日

修了式(entrega de diploma)


修了証書を手に

今日は待ちに待った修了式。
長い方で10年、短い方で2年、平均すると3~4年かけて、修了に必要な単位を取得して卒業する。
ありがたいことに、ラテンアメリカ講座の修了生は立教大学総長から一人一人に修了証書を手渡される。立教大学の卒業生であっても、総代でない限り、総長から直接に卒業証書をもらうことはない。ラテンアメリカ講座の修了生はとても恵まれていると思う。

受け取った修了証書を手に、修了生が一人一言ずつ話す。どうやって、この講座と巡り合ったのか、そして、ここでどのように自分がラテンアメリカとのかかわりを深めたのか、どのような仲間と出会ったのか、これからどうやって行くのか。

ラテンアメリカ講座には社会人が多い。この数年間を振り返り、仕事と勉学をよく両立してきたなという感慨にふける方もいる。

なかには、途中で大病を患ったり、職場で部署の移動があったり、結婚をしたり、さまざまな事情を乗り越えて通い続けた人もいる。そんな思いのたくさん詰まった修了証書である。

修了生一人一人が、総長や所長の前で一言ずつ話すのだが、何人かが「これで終わりではなく、次の新しい一歩を踏み出す」と言っていた。

このままずっとラテンアメリカ講座で勉強を続ける人もいる。さらに大学院で勉強を深める人もいる。長い歴史を持つラテンアメリカ講座には、さまざまな道を歩いている先輩たちが存在する。

ラテンアメリカ講座とラテンアメリカ研究所はいつまでも受講生のHOMEであり続けたいと思う。
ここから巣立つ人も、継続する人も、

¡Aquí tiene su casa!

2009年3月12日木曜日

春休み


春休みは何をして過ごす?

多くの場合、1月第1週から授業がないラテンアメリカ講座の場合は、そんな会話もよく聞かれる。
週末休みに旅行を計画する場合もあるだろう。

ラテンアメリカ講座にとって春休み中の大きなイベントは3月の修了式である。
全員が修了するわけではないので、修了生は毎年1桁台である。
今年の修了生は9名。2年で修了することも可能であるが、通常3年以上かかる。
ほとんどの受講生が仕事を抱えワークライフバランスに悩みつつ、週末に立教のキャンパスに通い、修了証書を手にする。

多くの公開講座のように、数回で終わるか、長くても数か月で終わる講座とは異なり、何年も通い、Diplomaを手にするのはどんな気持ちだろうか。

事務局の春休みは忙しい・・通常でも忙しい上に、今年のように様々なことが重なると帰宅するのが10時過ぎで、いっそのことオフィスに泊まりたいということもよくある。

そんな中で、この修了式は厳粛な気持ちになり、この仕事の素晴らしさを実感できる瞬間である。
おそらく、それゆえに立教大学総長も毎年この式に参加してくれるのではないかとひそかに思っている。

2009年2月25日水曜日

2009年春:勉強法のお知らせ

こんにちは。
春休みに入って1か月以上が経ちました。
皆様、いかがお過ごしですか?

2月14日に2009年度の講座案内をホームページに掲載しましたが、ご覧いただけたでしょうか?
さて、春休みはそれぞれの過ごし方があるようですね。
修了式のご案内をした方の中には、海外にいらした方もいたようです。

勉強会を企画して、春休みの間も別の形式で勉強を続けている人たちもいるようです。
そんなグループのひとつから、勉強会のお知らせをブログで案内してほしいとの連絡がありました。

他にもそのようなお知らせがありましたら、どうぞご連絡ください。

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各位  「回し読みの会」のご案内

スペイン語の童話や児童書の回し読みをしませんか?「回し読み」にするのは、少ない費用で数多くの図書を手に取るためです。「童話や児童書」を選んだのは、多読を通じて脱初心者といきたいからです。
ご存知のとおり、ハードカバーの値段は児童書といえどもバカになりません。三〇冊、四〇冊読むつもりなら十万円近くかかるかも知れません。「回し読み」なら一人数千円出せば、数十冊を読む機会に恵まれます。
私達二人はスペイン語初心者ですから、いきなりMarquezやLlosaから入るわけにはいきません。怠け者の中年なので新聞やラジオから始めるのもおっくうです。とくに今回はスペイン語を読むことを楽しみたいので、なるべくなら辞書をあまり引かず、くり返し読めば内容が分かるレベルにひたりたい。だから「童話や児童書」を選びました。イラストを頼りにすれば語学力に難があって何とか見当はつきますもの。
各自数冊買って、読み終えたら簡単なコメントと共に次の人に送る。そうしたやりとりを一週間に一度ずつ続ける。一ヶ月に一度くらいは合評会を開きたいですね。もちろん読めなかった箇所を教えあう機会でもあります。
問題になるのは本の選択です。ネット書店「ミランフ洋書店」が頼りになります。

http://www.miranfu.com/19.html

このお店、取扱書籍を選ぶ基準がハッキリしています。1.ストーリーや内容がおもしろいもの。2.文章が美しく、イラストレーションも楽しめるもの。3.英米の有名作品の翻訳や名作版のリライトでないもの。4.高価すぎないもの。
気に入っているのは3と4です。ハリーポッターも勉強にはなるでしょうけれど、スペイン語で書かれた作品にふれるのが学習者の醍醐味というものでしょう。4を気に入っている理由は言うまでもありません。サイトを読んでいただければお分かりのように、このお店、読む快感を味わいたい者にとって最良の味方になってくれそうです。
むろん店長ご自身が取扱書籍のすべてに目を通しています。ちなみに店長は『ペドロの作文』他、スペイン語の児童書の翻訳者で知られる宇野和美さん。スペイン語通信添削講座イスパニカの講師もなさっていらっしゃいます。メール交換した感じからしてフレンドリーで、信頼のおけそうな方です。
書籍はすべて難易度別に「はじめて読むなら」から「自信がついたら」まで4段階に分け、それぞれ10数冊を販売しています。5人いれば数ヶ月で読み終えられるかも?

趣旨にご賛同の方は下記宛てにメールを送って下さい。
お時間が合えば3月1日(日)午後2:00、大学近くの公民館でお会いしましょう。ご参加の程、心からお待ち申し上げております。


モリベ:moribe@magazine.co.jp
サトウ:fuyu7400@yahoo.co.jp

2009年2月18日水曜日

コルタサル没後25周年に寄せて

伊高浩昭(ジャーナリスト)

 パリを拠点に活動した亜国人作家フリオ・コルタサル(1903~84)が死んでから二〇〇九年二月一二日で二五年が過ぎた。コルタサルですぐに浮かぶのは、代表作『石蹴り遊び(ラユエラ)』である。一九六一年の作品で、日本では八四年に訳書(土岐恒二訳、集英社)が出ている。「アルヘンティーナの正体をつかむには、その恥の側面から立ち向かい、幾多の論客が説明してきたように、一世紀にわたるあらゆる種類の権利侵害によって隠蔽されてきた、顔の赤らむ恥辱を探求する必要がある。だが、アルヘンティーナの数々の卓越性をむなしくこき下ろす道化役者となるだけの元気が誰にあるだろうか」――『石蹴り遊び』に出てくるこの箇所が好きだ。

 「あんた、アルヘンティーナの悲劇は老人に牛耳られていることにあるって言ったんじゃないの」―「その悲劇もすでに幕が下りてしまったのさ」。こうも書いている。コルタサルはペロン政権時代の四六年、メンドサのクヨ大学で南欧文学の教授をしていたとき、教育現場や文化への介入を強めたペロン体制を批判して大学を去った。五一年にパリに移って、この代表作を書いた。ペロンもやがて政権を追われ、スペインに亡命する。

 だがペロンは亡命先のマドリーから七二年、ブエノスアイレスに一七年ぶりに帰還し、翌七三年、不死鳥のごとく政権に返り咲く。私は当時、何度もブエノスイアレスに行って政治情勢を取材していたが、さまざまな傾向をもつペロン派は政権復帰を目前にして誰もが主人公になりたがっていた。コルタサルが一〇年ちょっと前に『石蹴り遊び』に書いた「自分たちは純正なるアルヘンティニダー(亜国性)の模範だと信じ込んでいるのに、実はただの馬糞の中に浮かび漂っているだけと知ったら、仰向けに卒倒することだろう」という痛烈な皮肉は、ペロン復活前夜の時代に色あせずに生きていた。私は、記者会見でペロンと握手して会話したり質問したりし、街を歩き回っては、ペロン復活政権の成り行きを細かく追っていた。だから、コルタサルの描写に強く惹かれたのだ。

 政権に復帰したペロンは高齢に加えて難病もちで、一年ももたずに死んでいく。後継のイサベル夫人の政権は七六年に軍政に取って代わられ、亜国は八三年の民政移管まで六年あまり殺戮と弾圧の巷と化す。コルタサルはそのころから八〇年代初めにかけて、サンディニスタ革命前夜と革命後のニカラグアに何度か足を運ぶ。その体験を『かくも激しく甘きニカラグア(ニカラグア・タン・ビオレンタメンテ・ドゥルセ)』にまとめ、死の年、八四年に著す。日本では八九年に訳書(田村さと子訳、晶文社)が出た。「ふたたび、ソレンティナーメへ」の章に、「(七九年七月一九日のサンディニスタ革命後も)貧しい生活に変わりはなく、熱帯の猛暑、あの熱帯のけだるさ、錯綜、重症のマチズモなどにもかかわらず、ラ米の酷熱帯の縁で、薔薇色やオレンジ色から緑色のビロードに転じる日暮れのように、ニカラグアはかくも激しく甘く、やがて、降るような豹の目にみち、むせるように香る、濃く厚い夜が落ちてくる」と書かれている。この本の題名はここから来ている。ソモサ独裁時代の六九年からニカラグアを取材してきた私にとって、この本も味わい深い。

 コルタサルは、「世界中のあちこちに亡命している無数のラ米人の亡命が、何らかの意味をもつものであるとしたら、苦悩や望郷の念がもたらす否定的側面ではなく、ブーメランを恐るべきものと成す威力を生み出す全面的転換、帰還の力である。この帰還の意志を失くしていないかぎり、その人の能力や想像力はラ米の民衆に貢献できるだろうし、またそうでなければならない」――ニカラグアについての本の「ラ米における作家とその役割」の章でそう書いている。欧州亡命中のコルタサルは、極悪の軍政の支配する祖国には帰らなかったが、〈大なる祖国〉ラ米に包含されるニカラグアに〈帰還〉し、滞在した。「亡命者の帰還」という点で、コルタサルはペロンの帰還をどう受けとめていたのだろう。コルタサルは、ペロンの右腕で、ペロンの最終的な帰還に先立ってペロン派政権を復活させた左翼のエクトル・カンポラ大統領とは和解していた。 ラ米に連なるスペイン語圏一八カ国。コルタサルにとって、あるいはすべてのラ米人にとってラ米全体が〈祖国〉なのだ。物書きにとって決定的なのは、表現するため用いる言語である。翻訳が不要な国々の連なり、見事すぎる! ペンの徒のはしくれとして、羨ましい。ラ米の延長線上には、米国支配下の西語圏の島プエルト・リコがある。さらには米国内の西語社会の広がりがある。

 コルタサルは八三年、〈小さな祖国〉アルヘンティーナに一時帰国した。民政移管によってアルフォンシン政権が登場したころで、友人や市民から温かく迎えられた。軍政は、八二年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北で決定的な打撃を受けてついえた。コルタサルは同年書いた「ニカラグア素描」の章に、「いかなる国も自国の利益や主権が他国によって侵されようとすると怒りを爆発させるもので、多くの場合、必ずしも思慮深いとは言えない愛国心を利用しようと待ちかまえている体制の挑発に、うかつにも乗せられたり操作されたりしているのだ。現在起こりつつあるマルビーナス諸島をめぐる英国とアルヘンティーナがいい例だろう」と記している。

 この戦争を亜国側から報道し、戦後二回マルビーナス諸島を訪ねた私は、コルタサルの言うとおり、愛国心の洪水を目の当たりにした。日本で知られる亜国人歌手グラシエラ=スサーナ・アンブロシオも、ブエノスアイレスで義捐金集めの愛国行進に参加していた。私は〈小さな祖国〉日本に、愛国心が武装する時代が二度と来ないよう、職務を通じて努めるのがジャーナリストの使命だと心したものだ。

 日本人には、ラ米人がもつラ米のような〈大なる祖国〉はない。ならば、周辺のアジア諸国とともに〈大なる祖国〉を築く共通目標を定め、そのような方向に変わっていかなければなるまい。さまざまな言語をもつ欧州人が欧州連合を実現させたのを、困難さにおいてはるかに上回る偉業を達成しなければならない。コルタサルが四半世紀前に表したニカラグアについての本も依然、問題を提起しつづけている。だから新しい。(了)

2009年2月15日日曜日

HP全面リニューアル一周年


2008年2月14日に全面リニューアルしたWebSiteを公開しました。 昨日で新しいWebSiteを運用し始めて1年になりました。


アクセスカウンターは昨年4月から再カウントを始めているので、1年間のサイト訪問者は1万前後でしょう。年間アクセス数約1万というのは、存在を知っている人が訪問するサイトという数値だそうです。

たまに数字や日時の間違いなどもあり、失敗したこともあるのですが、概ね、役に立っているように感じられます。

1年たった今では、日々進化をとげているWebsiteの中では、このページも新しく感じられないようになりつつあります。

日頃の業務の多さから、なかなか「進化したHP」には着手できないでいるのですが、HPの更新すらできなかった、1年前から比べると、最近ではソースコードからリンクの張り替えもできるようになるなど、担当者としてはスキルの進化を感じています。 そういった進化はサイト上では見ることはできないのですけれども。

今後も少しずつ技術を向上させ、見やすくて親しみやすいWebsiteを育てていくつもりです。

この1年間皆様の温かい励ましと寄稿などによるご協力に心から感謝申し上げます。

2009年2月3日火曜日

翻訳の難しさ

昨日ニコラス神父の記事を引用したのは、ラテンアメリカ研究所の伝統の重みを考えさせられたこともあるが、同時に翻訳の難しさというものを感じたためでもある。

最初にこの記事を目にしたのは、「解放の神学にもっと時間を」とイエズス会総会長という雑誌のタイトルである。

その中に、昨日私が仮訳をした文章が別の翻訳で掲載されていた。

「・・・・それが(解放の神学が)「信任」を得られないのは、飛ぶことを学ぶ前に翼が切られるような恥辱だ」

イエズス会の総会長が、解放の神学がバチカンから認められていないことを『恥辱だ』・・・などと果たしていうものだろうか、と疑問に思った。

そこで、原文を探したみたのが、昨日ブログに引用した文章である。

スペイン語の発言では Es una lástima que とある。
調べてみると、いくつもの英訳があるが、

たとえばWikipediaのニコラス神父の項目では
Liberation theology
In a November 2008 interview with El Periodico, Nicolás described liberation theology as a "courageous and creative response to an unbearable situation of injustice in Latin America."[13] These remarks are particularly controversial since liberation theology has been pointedly denounced by Pope John Paul II[14] and by Pope Benedict XVI, when he was still Prefect of the Congregation for the Doctrine of the Faith.[15] However, the Superior General also added, "As with any theology, liberation theology needs years to mature. It’s a shame that it has not been given a vote of confidence and that soon its wings will be cut before it learns to fly. It needs more time."[13]
http://en.wikipedia.org/wiki/Adolfo_Nicol%C3%A1s

とある。

封印された状態にある解放の神学が円熟するまでに時間が与えられなかったことを残念であるとイエズス会総会長がコメントするだけでもかなり大変なことであるのに、スペイン語のes una lástimaが shame になり、日本語で恥辱になると、日本の読者はさぞ驚くことだろう。

原文理解の大切さを感じた出来事である。

(文責:篠塚)

2009年2月2日月曜日

解放の神学

ラテンアメリカ研究所の活動の中心であるラテンアメリカ講座の歴史は長く、約45年である。
初期のラテ研の講師陣をみると、現在ではラテンアメリカ学会の重鎮になっている方も多い。受講生の中からたくさんの研究者が生まれていることは言うまでもない。

学会とは別ではあるが、講師陣の中で世界的に有名になった人物といえば、現在のイエズス会総会長のアドルフォ・ニコラス神父だろう。

総会長になってからは海外のニュースでもニコラス神父の名前を目にするようになった。

最近見つけたニコラス神父に関する記事は、解放の神学についての見解である。解放の神学といえば、現在では教会の中では封印されてしまっている印象を受けるが、これについて言及したものである。

インタビューの中で、ニコラス神父に対してなされた質問

疎外された人たちのためにイエズス会士たちが行っている活動において、解放の神学は今も意味を持ち続けているのでしょうか?

これに対して、

「(解放の神学は)ラテンアメリカでの耐えがたい不正の状況に対して勇敢に新しいものを創ろうというひとつの答えとして生まれたものです。あらゆる神学は成熟するまでに時間がかかります。「信任票」が与えられずに、鳥が飛ぶことを学ぶ前に翼が切られたようになったのは残念なことです。(神学として成熟したものになるためには、解放の神学にも)時間を与える必要があるのです。」(訳:篠塚)

と答えている。

このEl periodicoのインタビューが話題となっている。

詳細はこちらから

http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=46&idioma=CAS&idnoticia_PK=561824&idseccio_PK=1021

(文責:篠塚)

2009年1月23日金曜日

フィデル・カストロは健在だった!

伊高浩昭(ジャーナリスト)

 ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領によって1月11日、〈重態説〉が流されたキューバ革命の精神的指導者フィデル・カストロ共産党第1書記(82歳)は21日、キューバを訪問していたアルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス大統領と40分間会談し、自ら〈重態説〉を否定した。

 フィデルは翌22日、「省察」と題したコラムシリーズを38日ぶりに再開し、20日就任したバラク・オバマ米大統領について、「1959年1月のキューバ革命勝利以来11人目の米大統領が就任した。オバマの誠実さは疑いないが、過去の大統領たちの域を出ていない」と述べて、オバマとヒラリー・クリントン国務長官が決めるキューバ政策に警戒心を示した。

 だが、このコラムの重要性は後段にある。フィデルは、「省察」を久々に書いたのを踏まえて、「〈省察〉執筆を減らすことにした。党と政府の同志たちを煩わせないようにするためだ。私は今は元気だが、同志たちの誰も今後、〈省察〉や私の重態・死に影響されてはならない」と書いているのだ。

 さらに「半世紀にわたって私が行なった演説や書いた論文などを点検している。私は情報を受け取り情勢について静かに思考する特権を長い間享受してきた。だが、オバマの任期4年が終わるまでこの特権を享受し続けることはないと思う」と記している。

 フィデルは明らかに〈遠くない死〉を覚悟している。「重態」という言葉を使ったのも、チャベスが指摘したとおり、つい最近まで容態が悪化していたからかもしれない。実権を握る実弟ラウール・カストロ国家評議会議長(元首兼首相、77歳)もフィデルも、すでに実質的に〈フィデル後〉の時代に入っている。今回の〈重態説〉騒ぎは、期せずしてフィデルの本音を引き出すのに貢献することになった。

2009年1月13日火曜日

カストロ前キューバ議長の容体悪化か?!

カストロ前キューバ議長の容態悪化か

キューバの精神的指導者フィデル・カストロ前議長(82)の容態が悪化したのではないかとの見方が流れている。

・それは、前議長が、共産党機関紙グランマなどへのコラム「省察」を昨年12月15日を最後に小1ヶ月書いていないこと
・元日の革命勝利50周年でラウール・カストロ議長のフィデル礼賛が目立ったこと
・11日(一昨日)、フィデルの盟友であるベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が公式放送で、「フィデルが人前に現れることはもはやなく、記憶に刻み込まれるだろう。フィデルは肉体的生命を超えて生き続けるだろう」と明言したこと

——などを根拠としている。

現時点では、これ以上の判断材料はなく、新たな情報を待つしかない。

1月13日 伊高浩昭

2009年1月12日月曜日

キューバ革命50周年記念講演会


立教大学ラテンアメリカ研究所による、2008年度、最後の講演会となります。

2009年1月1日に50周年を迎えた、キューバ革命。
半世紀たった今だからこそ、見えてくるもの。

そして、チェゲバラの死後40年を経て、革命50周年のこの時期にソダーバーグ監督の映画による、チェ・ゲバラの復活。今、一番知りたい疑問に答えてくれる講演会です。

長年キューバを研究してきた研究者である後藤政子氏による「キューバ革命50年のあゆみ」の基調講演を聴き、同じくキューバを長年取材してきたラテンアメリカジャーナリストの伊高浩昭氏との対談。

先日、2つのチェ・ゲバラ「第1部 28歳の革命」の立教大学学生限定特別試写会を開催しましたが、今回は第2部試写会に先立ち、キューバ革命講演会を行います。

キューバ革命に関する知識を得てから見ると、また違った見方もできるのでは?

講演会:キューバ革命50周年記念
日時:1月17日(土)14:00~17:00
会場:8号館8304教室

基調講演:講師:神奈川大学教授 後藤 政子
現在、神奈川大学外国語学部教授。ラテンアメリカ現代史専攻、著書に『新現代のラテンアメリカ』『キューバは今』『ポスト・コロニアルと非西欧世界』、『キューバを知るための52章』訳書『エルネスト・チェ・ゲバラ伝』『ホセ・マルティ選集』等。

対談:講師:伊高 浩昭氏:ジャーナリスト、立教大学ラテンアメリカ講座講師、 共同通信記者、駐在員、特派員として40年以上ラテンアメリカの報道に関わる。 共同通信退職後もエディターとしてラテンアメリカ報道の第一線で活躍中。著書、翻訳多数。 「フィデル・カストロ後のキュ-バカストロ兄弟の確執と〈ラウル政権〉の戦略 」 ブライアン・ラテル/伊高浩昭 /作品社、「「キュ-バ変貌」 伊高浩昭 /三省堂 、「Cuba(ク-バ)砂糖キビのカ-テン」伊高浩昭 /リブロポ-ト

2009年1月5日月曜日

南北アメリカの外交の変革(アメリカ研究所との合同シンポジウム)


毎年恒例のアメリカ研究所との合同シンポジムです。


今年は南北アメリカにとって大いなる変革の年となりそうです。なんといっても、その中心は昨年選挙に勝利したオバマ氏の大統領就任。ラテンアメリカはどのような道を進むのでしょうか?こうした疑問に方向性を示してくれるのが、今週土曜日に開催される、立教大学アメリカ研究所とラテンアメリカ研究所の合同シンポジウムです。

そして、このシンポジウムが特別に楽しみなのは、ラテンアメリカ講座で6年間教えてくださっていた、遅野井先生が講演をなさることです。当時の受講生にはハガキでお知らせしましたが、ぜひなつかしい顔を見せていただきたいものます。

日時:2009年1月10日(土)17時より
場所:立教大学池袋キャンパス5号館1階5121教室

前半講演内容:「オバマ次期政権の対外外交政策―ラテンアメリカ政策を中心に歴史的視点からの考察
講師:広島市立大学国際学部教授 上村 直樹
現在、広島市立大学国際学部教授。アメリカ政治外交史および国際政治学を専攻。特に米州関係と日米関係、ANZUS同盟関係への関心が深い。共著に『アメリカが語る民主主義』(ミネルヴァ書房、2000年)、『戦後アメリカ外交史』(有斐閣、2002年)、『21世紀の核軍縮』(法律文化社、2002年)など。

後半講演会内容:「ラテンアメリカの政治変革―左派政権の挑戦と課題」
講師:筑波大学大学院人文科学研究科教授 遅野井 茂雄
現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。日本ラテンアメリカ学会理事長(2004年~2008年)。専門はグローバル化とアンデス諸国のガバナンス構築、ラテンアメリカの左派政権など。共編著に『21世紀ラテンアメリカの左派政権』(アジア経済研究所、2008年)、『ラテンアメリカの人々を理解するために』(新評論、2001年)など。